~2024年4月9日の日記「日々のささやき」~
きょうは、睡眠中ではなく、起きている間に
悪夢のような記憶が蘇った。
踏切で、電車が通過するのを待っていたとき、
2本の電車がすれ違った。
と同時に、悪夢が蘇る。
あの算数の問題は、
小学何年生のときに出たのだろう。
時速何キロの電車と、時速何キロの電車が
すれ違うには何秒かかるか?
さっぱりわからんかった。
夜遅く、仕事から帰ってきた母が、
「何でわからんの?!?」
みたいな反応に始まり
「電車に乗ってて、電車がすれ違うとき
どうなる?」と私に聞く。
わからない・・・
「何で!!何を見てるん!?!」
と、母は声を荒げていき
「窓ガラスが、バンバン音を立てるでしょ!」
(私:はあ、そうやったっけ?)
「バンバン音を立てるの!何でと思う?!!」
(私:さあ、考えたこともないし・・)
私は、電車に乗っている間じゅう
電車の中の人のことを見ている子だった。
外のことよりも、人のことのほうが
ずっと興味深かった。
密閉されたところで、暇になると、
人はどんな姿を見せ始めるか?
今のようにスマホのない時代だけに
観察しがいがあった。私にとっては。
私は、算数ができないだけでなく
どの授業でも、すぐにほかのことを考えて
空想の世界に迷走していく子だった。
空想の世界は、楽しい。楽し過ぎる。
でも、家に帰ってから母に恐ろしく叱られ
いまだに
電車が、あっちからと、こっちからと来たら
算数を思い出す。
算数を思い出すのではなく
母を思い出すのだ。
時々思い出すと、昨日はそう書いたが
2日続けて思い出した。
勉強に不向きな娘を
母はどう思っていたのだろう・・・
無条件に愛してくれていたのだろうか?
いまさらそんなこと考えても
仕方ないのに、つい思ってしまうこと。
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「母は無条件に愛してくれていただろうか?」
この言葉にドキッとしました。
私の母も、タイプは違えど、
「自分一番」の人でした。
友達の家に遊びに行くと、
優しくて子ども思いのお母さんがいて、
いつも羨ましく思っていました。
思春期の頃は母親と対立しましたが、
段々とそんな母親を受け入れていきました。
「私の母親は、普通とは違う方法で、自分を大切にしなさい」
と教えてくれたんだ、と
(無理やり)納得しました。
そして、母親がそんな人だったので、
私はわが子に対しては、
「あなたは何より大切。いつもいつも愛している」
と伝わるように育てようと思っていました。
でも・・・
自分の物差しであれこれとお稽古をやらせたり…。
結局、私が良かれと思ってわが子にやらせたこと、
わが子が「楽しい!」と思えることは
何一つなかったように思います。
病気になって、闘病が始まってから、
絵を描いたり、工作したりする時間が増え、
そんな中で、わが子は絵がとても上手なこと、
手先がとても器用で、想像力豊かで、
何を作らせてもとても面白い作品になることが分かりました。
病気になっていなかったら、
もしかしたら、
わが子の得意なことに気付かなかったかもしれません。
こんな母親をわが子はどう思っていたのだろう。
窮屈だなと思っていたかもしれません。
「ママの期待通りにしなくちゃ」
と無理をさせていたかもしれません。
ごめんね。
本当にごめんなさい。
取り返しのつかないことをしてしまいました。
でも、あなたを心から愛しています。
そのことだけは、伝わっていたらいいな…
子どもを亡くした親・家族で構成しているセルフヘルプグループ「小さないのち」です。
会の代表が20年以上前に突然の病気で1歳の娘を亡くし、「同じ境遇の親御さんと会いたい!」という一心で、インターネットもない時代に、手探りで作った会です。
以来、当事者による、当事者のための会として活動しています。
対象は生後1日から独立以前のお子さん(成人を含む)です。
対面・オンラインでのわかち合いのつどい、オンライン掲示板、会報の発行、その他会員が希望することを通して、語り合いながら、交流しながら、ゆっくりと、それぞれに、心を回復し、この先の人生の意味を見出すために、共にあゆんでいければと思っています。
ご夫婦や、男性お一人の会員さんもいらっしゃいますので、
男性の方も、どうぞお気兼ねなくご連絡ください。
今、辛く、悲しく、苦しい日々を送っている方々に届くことを心から願っております。
会の詳細、お問い合わせ先、過去の「日々のささやき」は会のHPをご覧ください。