キム・ギドク監督作品です。
本日録画していたものをテレビで鑑賞、ううぅ~~~~~~んと考え込みました。
この監督は毎回鑑賞後の考え込みかたが尋常じゃないために、いつも見る前に身構えるんですが・・・
主人公「セヒ」は2年つきあった恋人が自分に飽きてしまったんじゃないかと思いこんでる悲しい女性。
恋人「ジウ」は、セヒの嫉妬や思い込みやイヤミ、錯乱、涙、などに困惑し、うんざりさせられていました。
突然セヒが消えて、半年後、彼女は戻ってきます。
まったくの別人として。
整形手術により、顔を変えてしまえば、自分の顔や身体に飽きた恋人が、また愛してくれるかもしれないと考えた、というのですよ・・・・。
なんというか、こういうことを本当にやってしまう女性がいるかなぁ?と思いましたが、そこはキム・ギドク、脚本や演出で観客に有無を言わせず引き込んでしまうんですね。
哀しいなぁ、女って。
愛ってなんだろうなぁ?
正直、そう思いました・・・・。
たしかにね、2年もつきあえば、男は飽きるんですよ、相手の女がどんなにいい女でも。
これはしょうがない。
でも、すぐさま別れてしまわないのは、なんとなく情がうつってるから、なんでしょう。
なのに、女は、男の心変わりをなじってしまう。
責めてしまう。
泣いてしまう。
負け ですねぇ・・・・・。
そうなったらもう、恋の駆け引きでは負けてるんですよね。
泣いてもすねてもわめいても怒っても、男の離れてしまった気持ちはつなぎとめられないんです。
セヒがやったことは「愛」じゃないと思いました。
あれは「執着」でしかないと。
相手を縛り付けることは「愛」じゃないです。
セヒのやってしまったことは取り返しがつかないし、それが原因でジウの罪悪感はMAXになり、結果的にジウにも取り返しのつかないことをさせてしまいます。
ラストも、これほど哀しい結末はないと思いますよ。
執着や束縛は「愛」とは別物です。
愛するってことは赦すことであり、包み込むことであり、すべてを与えることだと思います。
そのへんが私も実はわかってなくて、しょっちゅう痛い目みてるんで、偉そうに言えませんけどね。
邦題『絶対の愛』となってますが、オープニングでちらっとみた英題は『TRUE』だったような。
外見は恋愛において非常に大きなファクターですが、冷めてしまった愛をもう一度燃え上がらせるために外見を変えても、たぶん無駄です。
時間が経てば、どれほど強かった恋心も冷めるし、人は変わります。
あきらめるしか、方法はない、この映画を観て、やっぱりそう思いましたよ、私。