昭和一桁世代。87歳。

ということは、戦争経験者となります。

そういえば焼夷弾が降ってきたみたいな話を聞いたことがあるような。

ふーん、程度であまりちゃんと聞いてなかったかな。

 

ボケたみたいです。

ただこの認知という症状、はっきりしたものでなく何となく変?みたいな

ことも多く、マジボケなのか確信犯なのか区別がつかないことも多々あります。

 

 

 

 

 

元気なころは釣りとスポーツと酒をこよなく愛す、いえ、それ以外は家族のことまで

どうでもいい的な人でした。

 

なので小さいころから私は父があまり好きではありませんでした。

チャンネル優先権は父にあり、必ず見るテレビはスポーツだったため、私はスポーツ嫌いになりました。(当時は各家庭にテレビは1台が当たり前)

スポーツ番組を見ながら、ぐでんぐでんに酔っぱらって悪態をつく、そういう父をみて私は酒に飲まれてはいけないと学び、今でもたしなむ程度です。

 

話すことといえば、スポーツのことか釣り自慢で同じことを何度も繰り返すので、うんざりすることもしょっちゅう、それ以外の話題を持たないので父と語らった記憶もありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

母は先に他界しました。末期の病床で、自宅に戻って療養と病院から言われた時に、私に父のいる所に戻りたくないと懇願し、ホスピスの手続きをしている間に亡くなりました。

父の酒癖、行動すべてが母にとってはもう耐えられなかったのだろうなあと父の介護しながら今でも思います。

 

外面(ソトヅラ)だけはいいのです。周りからは上述したようなそういう父を想像できないかもしれません。でも本当の友人はいませんでした。なので退職後はひとりぼっち。人の気持ちを察することが苦手なようです。そりゃ友人もできるわけがありません。

 

新しいことには全く興味を示しません。もちろん情報機器とは無縁です。最後まで携帯は持てませんでした。使えるのはテレビと据え置き型の電話だけ。父の中では戦後のまま時代が止まっているような状態です。いまでもテレビを一日中見るだけです。

 

こんな昭和一桁世代です。

 

書いていて思います。そりゃボケますよね。

 

体だけは丈夫で長生きしていますが、ジュニアの私は徐々にそれに振り回されつつある、そんな状態に来ています。

 

以上、簡単な父の説明書でした。