中世の風景 諌山さんぽ | 三光地域おこし通信

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 中世の風景 諌山地区

 

豊前古城誌に

 『諌山氏代々の居城、天正の頃は諌山民部居 野仲氏に属す。」

諌山氏

三光村誌に

 天平12年(740)藤原広嗣の氾濫のときに下毛郡擬少領勇山キ(人偏に支)美麻呂とあり、最初 広嗣に加わっていたが、早々に官軍に投降し、朝廷から官位を授けられている。

 下毛郡擬少領勇山キ(人偏に支)美麻呂は諌山郷を本貫地とした在地首長と考えられ、私兵を持つことが認められていたと考えられる。 諌山郷は八面山北部 三光山口地区とその周り。

 この周辺には、この時代相原廃寺や塔ノ熊廃寺などの寺院後が見られ、和気清麻呂を助けた猪300頭の話が残っている。

 

 

昭和70年代の諌山地区の航空写真

 

A-A´断面

 こんな感じの地形の上のほうに集落が形成されちょる。

 

 

諌山地区の風景

 なんとなく堀切

 

土塁

 

 その奥の堀

 

 土塁と先生

 

 上の航空写真の緑の部分は、土塁、堀、崖のいずれかで、人が生活しづらいところが痕跡として良くのこっちょる。

で、検証してないんやけんど、この地域「~屋敷」っちゅう小字名が多くあり、土塁や堀がその境に当たるんやろ~たぶん。

 

 小さい頃から知っちょる場所やけど知らんかった、なんかちょっと感動。