久しぶりの更新
とてもじゃないがtwitterに書くことはできないから
ここで書くとしよう
友人たちに見られて、耐えられるものでもない
むしろ、不用意に友人たちを心配させるものではないだろう
彼ら・彼女らだって、一人の人間として必死に人生を歩んでいるのだから
そうだな
何から書こうか
また、他人の目が怖くなってる
あの頃と同じだ
成長できていたと、そう思っていたのはただの錯覚だったということか
往々にしてよくあることか
他人の目を見ると、
「お前はただのゴミカスだ」「お前は無能だ」「お前は絞りかすだ」
そう言われているような気がする
上司、知り合い、子供、赤の他人、だれでも一緒
ほぼ99%、自分の被害妄想的なものなのだろう
それは理解している
だが理解したからといって、感覚が無くなるわけじゃない
無意識がそうとらえ続けるんだ
なんとも億劫なことこの上ない
幻聴とか幻覚がまだ見えていないのが、唯一の救いといったところだろうか
自分が自覚できているうちは、結局のところ正常な範囲として収まるのだろう
自覚できないくらいになれば、重症なのかもしれないが
自分というものが、まるで見えてこない
何のために生まれてきたのか?
生きる価値が、果たして自分にあるのか?
そんなことを四六時中、問い続けている
最近は仕事も手につかなくなっているように思う
帰ってくれば寝るだけ
むしろそれぐらいしかできない
気力というものがほぼゼロに等しい
自分が何をやりたいのか? どんな生活を送りたいのか?
それを考えてみたらいいんじゃないかと言われた
結論から言ってしまえば、それがそもそも無い
自分のやりたいこともないし、送りたい生活のイメージだって全く湧かない
だからこそ悩みもしなければ、ただの失望と自分への軽蔑しかない
むしろ、それが見つかっているなら、何も精神的には苦労しない
いや、正確には苦労はするけれど、こんな無用な精神疲労は起こさずに済む
ただ、一応誤解の無きよう弁解するようなものではあるが、
アドバイスをわざわざしてくれた、というその「事実」には紛れもなく感謝している
そもそも、自分の存在に価値というものを感じたことがない
だから、自分から他人に対して働き掛ける、なんてことはほとんどしたことがない
というか、できない、というのがより正確なのかもしれない
他人の時間を奪っているような感覚に見舞われるから
自分というのは、この人の時間を奪うだけの価値のある人間なのか?と
疑わずにはいられない
だから他人に頼みごともできない
アドバイスを聞くのも最小限
まあ、これに関して言えば、すぐにアドバイスを聞くのは自分に負けているような
怠けているだけのような感覚を受けているからというのもあるが
逆に言えば、来る者拒まずのスタイルであることも確か
来る意思があるということは、あなたの時間を私が奪ってもいいのですよね?と
自分の中での確認というか、承認を得ているような感覚になるからだろう
他人の時間や労力を尊いものとして捉えすぎなのかもしれないな
ただ、理解して、それで治っているのなら苦労なんてしない
来る者拒まずはキミの美点だと、(自分の聞き間違いでなければ)言われたことがある
自分ではこれを美点だとは正直、これっぽちも思ってはいない
こういう裏があるのだと、自分が認識しているからだろう
さらに厳しいことを言ってしまえば、自分が利用される可能性も高いわけだ
とはいえ他人の評価は他人の評価として素直に受け取っておけばいい
さて、話を戻してしまえば、
希望をもってこの地に来たはずが、
あざ笑うかのごとく、粉々に打ち砕かれたわけだ
なんとも笑える話だね
挙句の果てには自分を見失っているときた
まあいいさ
落ち込むときには思いっきり落ち込んでしまえばいい
もうそんな感じ
いい意味ではあっさり
悪い意味では成りゆきとかやけっぱち、みたいなもんか
この話は際限がなくなりそうだし、この辺にしておこう
最近は誰かに追われる夢を見ることが多くなってきたように思う
昔からよく見る夢のひとつではあるのだけど、
連続して見ることも少なくない
最近読んだ夢分析の本によれば、
夢とは(無意識からの)自分に対するメッセージなのだとか
しかし、まあこの「メッセージ」がまったくもってわからない
解釈できない
なんとも、自分の無能さを実感する
感情というものを嫌い、
直感というものを信じず、
冷静に理解するのもへたくそ
あきれるね
いや、ホント
死というものについて考えることが増えてきた
普通は第二の人生を歩んだりするときに考えることなのだろうけど
死んだら、寝て二度と目覚めないようなもの、というのはなかなか面白い
確かにこう考えると案外、悪くないと思えなくもない
人は生きながらにして、生まれたその瞬間から重荷を背負わされている
そう考えると無下に死ぬわけにもいかなそうだ
あいにくと、こんな俺でも、死んだら誰か悲しんでくれるのだろう
そう思えるだけ、本当は幸せなのかもしれない
幸せなんて、わからないけど
そうか
これは俺の罪に対する罰なのかな
あの時、会いにいけたのに会いにいかなった俺に対する罰
そう考えると、容易に死ぬのもできなければ、
かといって、のんのんと生きてはいけない
いつか赦される日が来るのかな?
それとも、自分で赦さなくてはいけないのかな?
だとすると、俺は一生、この罰を背負って生きることになりそうだ
それも人生か
