一人暮らしを続けるために、

私は介護保険の申請を行いました。

あわせて、障害者手帳の申請も行いました。

 

病名は、大脳皮質基底核変性症です。

難病による身体の障害という理由で、

結果として、肢体障害の身体障害者手帳2級が認定されました。

 

介護認定は、要介護3でした。

結果を聞いたときは、

驚くというよりも、

「今の状態を考えれば、そうなのだろうな」

という気持ちが大きかったように思います。

 

 

介護認定とケアプラン

 

 

介護認定が出たあと、

ケアマネージャーさんが決まり、

私の生活に合わせたケアプランが作られました。

 

ケアマネージャーさんとは、

自宅での様子や、

困っていること、不安なことについて、

一つずつ話をしました。

 

歩行が不安定になっていること。

買い物や家事が負担になっていること。

転びそうになることが増えていること。

 

そうした話を重ねながら、

「一人暮らしを続けるために、何が必要か」

という視点で、ケアプランが組み立てられていきました。

 

 

 

ヘルパー

 

 

まず入ったのは、

生活援助のヘルパーさんでした。

 

食事のための買い物。

掃除や洗濯。

 

これまで何とか自分でやっていたことを、

ヘルパーさんに手伝ってもらうようになりました。

 

最初は、

人に生活の中まで入ってもらうことに、

少し戸惑いもありました。

 

ただ、

無理をして転んでしまうよりも、

支えを借りて生活を続ける方がいい。

そう考えるようになっていました。

 

 

 

デイサービス

 

 

歩行は、少しずつ難しくなってきていました。

歩けないわけではありませんが、

安定して歩くことができず、

家の中でも、何かにつかまりながら移動する状態でした。

 

何もつかまらずに、

安心して歩くことは、

できなくなっていました。

 

そうした中で、

体の動きを少しでも保つために、

週1回のデイサービスを

利用することになりました。

 

デイサービスは、

高齢の方が多い場所でした。

機能訓練指導員の方がいて、

体の状態を見ながら、

無理のない範囲で関わってくれました。

 

利用者同士の交流は、

年齢の違いもあり、

あまり多くはありませんでしたが、

体を動かす時間があること自体が、

私にとっては大切でした。

 

 

 

 

支援を受けながらの生活

 

 

この頃には、

ケアマネージャーさん、

生活援助のヘルパーさん、

そしてデイサービスという形で、

私の生活を支える仕組みが整い始めていました。

 

一人暮らしではありましたが、

一人だけで生活しているわけではありませんでした。

 

支援を受ける生活は、

この頃から、

私の日常の一部になっていきました。