色々ありました。
お母様とそのお姉様、Aさんの妹さんが渡米されました。
Aさんのお父様はあまりのショックに、来ることが出来ませんでした。
こういう時、やはり女性は強いですね。。。
最初はご遺体を日本に搬送しようと考えていたそうですが
高額な上に特にそうする意味もないという事で
火葬まではアメリカで、ということになりました。
メモリアルホールで棺にはいったAさんはいつもとは違うリップでした。
彼女と会ったのはこれが永遠に最後でした。
他にも日本人や彼女のクラスメイトなどがきていました。
ふと爪を見たら、私が10日ぐらい前にやってあげた
フレンチが残っていて大泣きでした。今でも泣けてきます。
それからしばらくは運転していても勝手に泣いてたり
と不安定な日々で、心理カウンセラーさんに通っていました。
26年前ですが年数って関係ないのですね。
今でも無性に会いたくなる時があります。
こういうことを記事にすると、当時のことを色々と
思い出してしまいます。生前、ばーちゃんが
戦争の事は話さなかったのが理解できます。