兄のチックが落ち着き始めた頃、4つ歳の離れた弟は兄と同じ幼稚園に入園した。
いつも兄の送迎に同行していたので、幼稚園には通い慣れていたし、弟のことを先生方もよく知っていたので、他の幼稚園は検討することなく、当然のことのように兄と同じ幼稚園に入園した。
弟は兄とはまた違うタイプで、とても繊細で感受性と勘の強い子だ。
いわゆるHSCだ。
兄がいるせいか、言葉の理解も、話し始めるのも、長いセンテンスで文を話せるようになったのもとても早かった。
そして場の空気やエネルギーを受けやすいのは母親の私にそっくりなのだ。
私の分身かと思うくらいのHSP具合なのだが、私と違かったのは、当時の彼はキャパをオーバーするとものすごいエネルギーをぶちまけるところだった。
頭のてっぺんから湯気を出しながら、ギャーギャー泣きわめくのだ。
それも、通報レベルの。
普段の物分かりのよいお利口さんな姿からは想像できないくらい、ものすごいエネルギーを放出するので、その姿を知らない友人や親族は目を丸くして驚くほどだった。
一度火がついてしまうと、収まるまでなかなか大変で、これにはとても手を焼いた。
なんなら、1歳の頃、怒って、チアノーゼになり、憤怒痙攣を起こし、救急搬送されたほど。
そんな彼は、幼稚園初登園の日こそ泣かなかった。
”今日からオレは幼稚園に行くんだ。ここで泣くのはだめなやつだ。”と分かっているので、本当は私と別れるのが怖いし寂しいし不安なのに、目にたっくさん涙を溜めて、溢れた涙を腕でひと掬いして、何も言わずに登園した。
絵を描いたり物を作ったり体を動かしたり、好きなことをいつも鼻歌を歌いながら、独り言を言いながら楽しそうにするのが好きな彼にとって、みんなで同じものを作ったり、同じ童謡を歌ったり、年少だからと赤ちゃんのように扱われるのはとても居心地が悪かったと思う。
でもそこでも”自分は年少だから年少さんらしくしなきゃ”と順応するのだ。
そして、幼稚園どうだった?と聞くと「すごく楽しかったよ。今日は○○してね…」と答えるのだ。
心配する母に気を遣って答えているのを私は薄々と感じていた。
でもいつか慣れる時が…自分を発揮できる時が…、という(私の)希望がそれを打ち消そうとしていた。
しかし、毎朝”(自称)楽しい”という幼稚園に近づくに連れて彼の顔は曇るのだった。
そして秋になり始めたころ、登園時におともだちの一人がママと離れるのを嫌がってギャン泣きしているのを目撃した。
そして彼はついにスイッチが入った。
もう自分の気持ちを偽れなくなった。
そして自分も思いっきり泣いたのだ。
しかも朝の会が終わるまで泣き続けたのだ。
幼稚園の先生たちは、いつも泣くことなくお利口にしていた彼があまりにも泣いたので、何があったのかびっくりして私に「今日何かありましたか?」と電話をしてきたほどだ。
私は「朝、離れる時にお友達が泣いているのを見て、自分も寂しくなってしまったのだと思います。」と伝えたら、先生は「それだ!OKです!」と言って、納得した様子だったが、この日をきっかけに、彼は私と離れるのを拒否し、大泣きする日々が始まったのだ。
もう振り切っちゃったらダメ。ダメとなったらダメな男なので、
毎朝ギャン泣きし、プロレスの如く先生に力づくで連行される日々。
案の定、朝の会が終わるまで、終わってもしばらく大声で泣く。
そこで取った担任の行動はなかなか酷かった。
「泣き声がうるさいので教室の外に出しました。」と担任に言われた。
毎日、教室の外に出され、無視されたのだ。
フリーの先生もいたので、きっとフォローしてくださってるはずと私は思っていたのだが、誰もフォローしてくれていなかったことを後で知るのだった。
「声をかけると甘えて余計に泣くから声はかけないで放っておく。」と担任が言ってたことが、フリーの先生までされていたとは思いもしなかった。
毎日教室の外に出され、誰も助けてくれない。
こんな日々が少し続き、ついに息子は幼稚園に行けなくなった。
幼稚園の日は朝から泣いて起きて、家から出られなくなった。
因みに、
同時期に同じクラスにもう一人登園拒否を起こした女の子もいた。
彼女もまた朝ママと離れる時に泣き出し、息子と同様に朝の会で「うるさい」と言われ、教室の外に出されたのだ。
その女の子はその時、ママに「○○先生(担任)怖い」と言っていたそうだ。
そのママは、すぐに担任に面談を取り付け、「娘が怖いと言っている」「外に出すのはおかしい」と伝えたようだった。
でも担任は「私って怖いですかねぇ。。。」と言っていたそうだ。
その女の子は少しの間登園拒否をしたものの、冬の頃には徐々に登園できるようになった。
もうひとり、女の子で異変が出てしまった子がいた。
その子は頻尿になってしまって、ママは幼稚園や担任のことを不安がり、娘ちゃんのことをとても心配していた。
担任はベテランの先生だが、教室内やクラスの活動が多く閉ざされた空間だったため、担任がどのような保育を行っていたか疑問だった。
コロナ禍だったのもあり、教室に入ることも禁じられ、少しの同伴も許されず、イベントや保育参観はショウアップされたものだったため、普段の保育の姿を見ることはできなかったのだ。
つづく。