登園拒否の話④のつづき
学期の終わりまで在籍ということにして、それまでは全て欠席扱いになった。
毎日毎日、息子と楽しく遊んだ。
もう元の幼稚園に戻ることを考えなくていいので気分が清々としていた。
新たな転園先を見つけるのもいったんやめにした。
息子とこんな風にどっぷりのんびり過ごせるも長い人生のほんの一瞬だから!と思って思い切り楽しんだ。
(今になってこの頃の写真を見返すと、季節折々の自然の中で笑ってる息子と自分のセルフィーがたくさんあって、それを見る度に「よかった!」「楽しかった!」と思うのです。)
学期最後の日に、書類や残っていた息子のものなどを取りに息子と幼稚園に行った。
担任が私たち親子に気が付くと挨拶するでもなく「M子せんせ~い!!○○さん(私たち)が来ましたー!!」と副園長を呼びに行った。
(挨拶もせず呼びに行くって、、、幼稚園児かよ。)
この期に及んでまだおべっかつかってるんだな、と思った。
そして園長、副園長、担任と何人かの先生が出迎えてくれた。
副園長も担任も「またいつでも戻って来てね」なんて、これまでと打って変わった低姿勢だった。
でもそれ以上何も言わないので、「M子先生、話してもらえますか?」と私は言った。
そしたらやっと「○○くん(息子)は悪くないからねー。またいつでも戻っておいでね。」と。
踵を返して帰ろうとしたとき、担任は息子に両手を広げてハグを要求した。
でも、息子は少し戸惑った様子を見せたので、私は「行こっ!」と言って、彼と手をつないで担任にそのまま背を向けて帰った。
帰る私たち親子に長男の元担任が走って追いかけてきてくれた。
一部の保育士以外はみんな良い先生で、苦しんでた時に「ママ、がんばってね!」「大丈夫よ!」と声をかけてくれてた先生、肩を抱いてくれた先生もいた。
だから、そんな先生方には感謝の気持ちでいっぱいだった。
園を正式に退園して、オラクルカードを引いてみた。
出たカードは、”これから大きなハッピーな変化がある”というものだった。
その3か月後、転勤が決まった。
引っ越しの断捨離時にたくさんのおもちゃを手放すことにした。
状態がよく使えそうなものは、息子ふたりがお世話になったあの幼稚園に寄付することにした。
一部の人間には好意的になれなかったけど、
それ以外の先生たちはみんなよくしてくれたし、
息子ふたりが過ごし、お世話になったところだ。
そこに通う園児やほとんど先生たちには何も罪はない。
それに、その幼稚園のおもちゃ類が壊れたものばかりで全くアップデートされていないことが気になっていたから。
あの日、走って追いかけてきてくれた長男の担任だった先生にコンタクトを取り、
寄贈の許可をもらって、幼稚園に息子たちとたくさんのおもちゃを持って行った。
そして、私も息子もその担任を含む、特によくしてくださった先生に手紙とちょっとしたプレゼントを用意していった。
日時を指定されていたので、その時間にいくと複数人の先生が待っていてくれた。
その中に園長と副園長の姿はなかった。
先生方と談笑し、手紙やプレゼント、寄贈品を渡すことができ、最後はみんな笑顔であたたかく見送ってくださった。
息子にとって、最後の幼稚園の思い出が温かいもので終わってよかった!と思った。
今回の件で、
兄弟だからといって、当然のことのように同じ幼稚園に入れてしまったことを私は後悔した。
それでも問題がない場合がほとんどなのだと思う。
でも、我が家のようなちょっとはみ出し系の個性が強いこどもにとって、ひとりひとり適正や好みを見分ける必要ってとても大事だと思った。
兄弟でも親子でもみんな違うんだな、って。
そしてこの後もまた、
我が子にとって紋切り型の義務教育はある意味とても難易度が高いことを思い知るのであった。