ユミホは憂鬱だった。
今日は朝からトクエと一緒のシフトなのだ。

トクエ...とは名前ではなく名字である。
下の名前は何だったか忘れた。

恐らく、その外見から40手前のユミホより一回り以上は年上であると予想ができたが、実際の年齢はわからない。

ユミホにとって職場の人間は「仕事の時間でのみ接する人」であったため、名前にも年齢にも然程興味がなかったし、プライベートな話も特にしなかった。

今の職場で働き始めて4年目に突入したが、それくらい経てばボツボツと不満も出てくる頃だろう。

仕事に不満は、無い。
不満があるのは人間関係だった。


「おはようございます」

売り場に向かい、開店の準備でユミホより一時間早く出勤しているトクエに挨拶をする。


「あぁ!あそこに用意してあるから!」


まずはオハヨウゴザイマスだろうがッ

上昇するユミホの血圧。

トクエは挨拶を返すより早く、その瞬間の自分の言いたいことを口にするタイプだった。

開店作業用のカートをご丁寧にもいつも用意してくれているのであるが、してくれと頼んだことは一度もない。

用意されていることは見ればわかるし、むしろ自分で用意したところで何の手間でもないのだ。

イチイチ、彼女は「用意しといたから!」と言ってくる。
それに礼を返すことの方がよっぽど手間だ。


年齢こそだいぶ違うが、彼女は同じ時期に入社した同僚だった。

入社当初は「面倒見のいいひと」といった感じだったが、それも行き過ぎればただのお節介である。

トクエはこちらが咳払いひとつしただけでも心配し、のど飴を勧めてくる女性だった。

ノドに不調があるわけでもなく、丁重にハッキリと断ったにも関わらずわざわざ私物置き場から飴を持って来て渡された時、この人は「面倒見のいい人」ではなく「面倒くさい人」なのだとユミホは悟った。

こちらが仕事中に何かを取りに行こうとすれば、自分の手を止めて「何を探しているの?」と声を掛けてきたり

仕事のメモをやたらと残すが、書き殴ったような字は自分だけが理解して他者には内容がサッパリわからないものだったり

無駄に備品を用意してみたり

ドアの前で鉢合わせたときは「どうぞどうぞ!」と道を譲るが、彼女がさっさと通ってしまった方が実際に要する時間は短いはずである。

極めつけはこちらが質問したことに関して0~10どころではなく0~100まで説明することだ!

早口で捲し立てるような喋り方は「自分は悪くない」「言われたとおりにやっただけ」という心底が透けて見えるよう。

それで結局なんなんですか!?結論から言え!結論を!!

とは流石のユミホも言えないのだが。


商品を取りにバックルームへ行くと、一足先に戻っていたらしいトクエが肩を叩いてきた。

内心ウンザリとして振り返るユミホ。


「パソコンでポップ作っていたらね、マネージャーがねっ、"いい加減に仕事覚えてください"ってね...っ」

 

どうやらトクエは泣いているらしい。


「何がわからないんですか。私がやりましょうか?」

「わからないっていうか...っ、あんな言い方ないじゃない...!」


ユミホは泣いているトクエよりも、彼女や自分より年下の上司に内心同情した。

だってトクエはキー入力のカタカナからひらがなへの変更の仕方さえわからないと宣うのだから!

仕事が出来るタイプならまだお節介焼きでも有難く感じるだろう。

しかし、仕事の出来ないタイプなのであるトクエは。


その日の夜、トクエからlineが着た。
入社したばかりの頃に業務連絡用として連絡先を交換したのだが、業務連絡として使われたことはほぼ無い。


ティントン♪
お疲れ様です

ティントン♪
夜分にすみません

ティントン♪
今日ご近所から柿をもらったんですが

ティントン♪
(柿の写真)

ティントン♪
よかったら食べる?


ユミホはスマホをぶん投げたくなった。

「柿もらったんだけど要りますか?」

これを言うためだけに何回送ってくるのか!
細切れに細切れに短文で送ってきやがって!!

仕事だけでなく、ユミホはトクエのlineの送り方にすら怒りを覚えるようになった。

彼女のやることなすこと、最早全てがストレスなのだ。


要りません

そう返信し、ユミホはスマホをソファに放り投げた。

.

.

.



今日のシフトは夜勤。

夜勤はあまり好きではなかったが、今の精神状態を鑑みれば心穏やかに仕事ができる。

トクエは夕方までの仕事だからだ。


「お疲れ様~」

 

社員食堂で軽い夕食を摂っていたユミホの向かい側に腰を下ろすトクエ。


「トクエさん、17時までじゃ...?」

「マネージャーに残業頼まれちゃったのよ~」


カレーが乗ったスプーンが皿と口とを忙しく往復する。
ユミホはマスクが外れたトクエの顔をじっと見つめた。

仕事はマスク着用なため、そしてコロナウイルスの影響があったため、最近まで彼女の素顔を見たことが無かった。

その顔は白髪染めを全くしていない頭髪と相まって随分年に見えたが、こうして働いているということは60は過ぎていないのだろう。

総白髪と言っていいほどの頭と、白い毛と同じくらいに白い肌。
そして深く刻まれたほうれい線。

目元だけが出ている時は柔和な感じを抱かせるのに、マスクが外された顔はゾッとするほどに...邪悪...という表現がピッタリくるような顔立ちなのだ。

いくらなんでも失礼だとは承知しているが、ユミホはいつも素顔のトクエから目が離せなくなるほどに、恐怖に近い感覚を抱くのであった。


「最近、なんか疲れてそうね。大丈夫?」

「え?あぁ、はい」


カレーを口に運びながら話しかけてくるトクエにハッと我に返るユミホ。

ストレスの原因は貴女なんですけどねと心の中で呟く。


「あのね、リラクゼーションCD持ってきたから貸してあげる」


椅子に乗せたバッグからトクエは平べったいCDケースを渡してきた。
ケースには美しい浜辺の写真が印刷されている。


「いや、大丈夫ですって!」

「いいからいいから、すごく寝つきが良くなるのよコレ聴くと!」


以前トクエはユミホの年齢から厄年だということを割り出し、厄除けのお札まで持ってきたことがあったのだった。

CD程度だったらまだ可愛い方だと言えよう。
ユミホは渋々それを受け取った。


その夜は仕方なく就寝時にCDを流してみた。

どうだった?と聞かれて嘘はつきたくなかったから。
適当に答えてもいいようなものの、ユミホはクソ真面目な所があるのだった。


ザザーン ザザーン

波の音が部屋に広がる。
確かにこれは寝つきが良くなりそうだ。

とは言え、ユミホはストレスがあっても寝つきは別段悪くなったりしないタイプであったが......

 

 

続く