いま、観音さまアチュの事前準備(?)としてこれ読んでます。
![]() | あなただけの観音経 null円 Amazon |
とてもわかりやすいです。
まだ全部読んでないけど。
「あなただけの」とありますが、別に観音経をアナタ流にアレンジしろとかではないです。
ふと思いだしたのですが、そういやぁ正式な講座名は忘れたけど、
ガネーシャギリ先生・CHAZZ先生(ゲストにKOUさん)の願望実現がテーマのコラボ講座に参加したことがあります。
そこでCHAZZ先生が観音経を紹介していた。
この時は観音経には全く興味なかったわぁ。。。
別の観音経解説の本もパラパラ立ち読みしたところ、観音経の読誦と写経で千何人救った祈祷僧の話も載ってた。
先に紹介した本の中で、
「金剛経や法華経などでは経典の受持、読誦、解説、書写による大いなる功徳があると説かれている(経典崇拝)が、観音経はそのことには全く触れることなく、一心に観世音菩薩の名号を称うべしとか、観音の力を念ぜよと説いている」
とある。
神を想念してひたすらジャパと同じやん。
んでさ、浅学シロートの純粋な疑問なんだけども、
観音経でこの様に説かれてるのに、なんで観音「経」を一生懸命唱えるの?
観音のマントラを唱えるならまだしも。
ちなみに、
六十二億恒河沙の菩薩を供養するのと、観世音菩薩だけを供養するのとではその功徳は等しく同じ
らしい。
しょっちゅうこういうの目にする笑
このマントラはこのマントラの何万回分。とか笑
しかも観音経って仏と弟子の対話をまとめたものですよね?
観音に対する祈りではないですよね?
あたかも自分が観音についての教えを受けているかのように唱え、観音菩薩に心を結び付けるなら納得だけどさ。
言ってる内容もわからず、ただ唱えるだけってどうなの?
サンスクリット語のマントラはさ、音そのものにエネルギーがあるから、言葉の意味はわからなくてもイイ…ってワケじゃないけど(なので発音は大事)意味わからなくてもまぁいいやん。
でも「敵を駆逐せよ」みたいな内容だったりするから知ってた方がいいか…笑
これで思いだしたんだけど、ハヌマーンチャリサーとかもサンスクリット語ではないし、ハヌマーンに心を寄せてない人がハヌ様を褒めちぎる言葉を口にしようが歌おうが意味ないと思う。
それで効果が無い!とか言ってもねぇ…
いずれにせよ、心をどこ結び付けるかは大切ですね。
私も毎日のジャパをもうちょっと神に集中せねば。。。
†
お経、暗誦出来たらカッコイイとか思うけど
経典?経本?を見ずに唱えることはあまりよろしくないたいよ。
見て唱えた方が良いらしい。
と、昔に某坊さんが言ってた。
