キリスト教徒でなくて良かった…と、ちょっと思った。神のもとでする誓いだもの、簡単に破ってよいわけがない。生涯、というのだから離婚も当然許されないわけだ。離婚したいがために国の宗教を変えようとした王様がいたが、確かに切実だろう。誓いを破る、という事は恐ろしい事だ。
日本でキリスト教式結婚式をした人達が、浮気や離婚をしていないとは思えない。彼らが浮気、離婚をしてしまうにあたり「これは誓いを破る事だ」という意味で良心に苛まれるかどうか…彼らの多くはキリスト教徒ではないだろうが。
皆は、結婚するときは一生添い遂げるつもりで結婚するのだろうか。一生、この人だけを愛するつもりで結婚するのだろうか。
もちろんそういう人が沢山いるのだろう。そして、こんな疑問を持つことも無い人が沢山いるのだろう。
私はかつて結婚したが、「人間として生まれたからには結婚や離婚を体験するのも必要だろう」と思って結婚した。そのままいければそれも良いと思ったが、やはり離婚することになった。用心深いので、嘘になる誓いは立てなかった。詭弁に近いが、愛する事はずっとできる。事実、私は別れた相手を隣人として今も愛している。
しかし、多くの宗教では不思議と偽証は禁じても「嘘をつく」事自体を禁じてはいないのである。
