7年前、2か月に一度のペースで、仕事先から帰省して、2週間ほど滞在を繰り返してた時の夏に帰省した時、それまでとまるで違うお袋を見たのが始まり。

 着てるものは汚れまくって、部屋は埃だらけ、食事は全部コンビニ飯、銀行や役所の手続きは何もできていず、ほっておけば生活ができない状態になってしまう状態になってしまう。

 そこから、役所や銀行の手続き、お袋の金銭管理、要介護の申請、実家の介護の改造、デイサービス、ヘルパー、訪問看護の設定などなど、1年の中で出来るだけのことをした。だが一番肝心な事が2点クリアするのが難しかった。

 その2点とは、仕事してる為、実家に自分が留まることが出来ないこと、お袋が介護のサービスを拒否してしまうこと。

  そんな時、何もかも初めての事で、訳も分からず進めてきた中で、コロナ感染の流行で世界が変わってしまいました。

 

 自分の仕事の難点は、散々悩んだ挙句、実家に戻れなければ辞めるしかないと気持ちを決めて行動を開始した。テレワークさせろと強行、駄目でも帰省する覚悟で準備を始めた。部屋を片付け、荷物を徐々に送り、それまで18年間過ごした家を出て、すべてを変える準備を始めた。仕事を辞めて帰省して、お袋が亡くなったりして、その後の自分の生活はどうなるのかが、まるで見えない事を散々悩んだ末でもあった。

そんな中、テレワークをしていい許可が出て、少々面食らったが、それに従うことにした。

 お袋の介護サービス拒否は、とにかく慣れさせることを進めるしかない、認知症は回復しないし進んでいく。とにもかくにもサービスの利用をさせるように毎日毎日話してなだめて怒ってを繰り返した。

 

 今年に入って、コロナワクチン接種などに連れて行ったりと、夏までは、なんとかできたが、7月に、お袋がコロナ感染、緊急入院、10日後退院するもベットから起き上がれない日々の1か月、食事もとれない毎日で、流動食を飲ませて過ごして、2か月後、ようやく回復した。

 その後、年末の仕事の為にお袋を老健に預けて1か月移動、12月に戻ると、老健から戻ったのはいいが、お袋はまた転びまくる4日間で、ようやく半月を経て、転ばなくなったが、寝て起きてトイレに行く、提供された食事しか食べれない状態になってしまって今に至ります。

 

 実家に拘り、ここを離れようとしないという事が無理な状態になってしまっています。自分一人で、お袋を診ていくのも、もう限界なのでしょうね。

 加えて自分は今後どうしたらいいのかを考えてしまいます。お袋が亡くなった後、この土地は売却の約束が出来ていますが、中にある遺品を片付ける事も建物を除いて売却する為の交渉など作業に数か月はかかるでしょう。自分の住む場所が無くなってしまう中で、自分自身の今後の生活を考える中、移動の資金、今後住む場所など、考えなくてはいけない事がいっぱいです。

 今の仕事先で、死ぬまで働けは出来るかもしれませんが、、自分はもう、これまでのいろんな思いもあり、落ち着いて過ごせる老後を考えたいと思っていますが、どうなりますことやら、、、

 

 もうお袋の意向に沿えない罪悪感も無くなってきました。お袋が元気で過ごせる事は、お袋が望む独居生活ではないと思えます。

 とはいえ、特別養護老人ホームの順番待ちは、まだまだほど遠く、高額な老人ホームに預けることもできない今は、私が傍にいることで過ごすしかないのでしょうね。

 もし、その間に仕事を失うとしても、覚悟するしか無いのでしょうね。

 お袋にとっては、私一人しか頼れる相手がいないのですから。

 

 そんな昨今、これまでのお袋の気持ちが、なんとなくわかる気がします。実家に居たいなかで、一人で過ごしていく中で、とてつもない孤独感を感じてきたのだと、私自身が戻ってきて感じています。少ないなりに親父の遺族年金で、なんとか暮らせるにしても、たった一人での生活の中で、徐々に衰える体力の中で、怪我をし、コロナに感染し、だんだんと心細くなっていったのでしょうね。

 

 お袋を診ながらではありますが、私自身が孤独感を感じます。お袋は、こんな気持ちなのだなと思うようになりました。

 私は、孤独の中で死にたくないと思います。