さて、第6弾にして初!女子選手をご紹介
記念すべき女子選手一人目は…
ダニエラ・イラシュコ=シュトルツ(Daniela Iraschko-Stolz)です
1983年11月21日生まれ、アイゼンエルツ(Eisenerz)出身。
女子の一人目は、絶対にDanieと決めていました女子創設期からパイオニアとして
けん引し、女子ジャンプの知名度アップ、競技レベル向上に務めてきた選手です
彼女がいなかったら、ここまで女子ジャンプのレベルが上がることもなかっただろうし、
五輪種目になることもなかったかもしれない…というくらいの一番の功労者です
成績面は、今更ここで触れるまでもありませんが、彼女にとってのハイライトは、2011年の世界選手権での金メダルと、2014年ソチ五輪の銀メダルでしょう 私としては、ソチ五輪の時は心の底から、Danieの金メダルを願っていました彼女ほど、金メダルにふさわしい選手はいないと思ったからです結果は銀…おめでたいけれど、何か釈然としない…直後はそんな気持ちが私の中には残りましたが、Danieの笑顔を見たら、モヤモヤも吹っ飛びました!彼女のすごいところは、心から勝者を祝福し、称え、自身の銀メダルを「これまでの努力が銀メダルという結果で報われて幸せ」と心から喜んだことです選手としてはもちろん、Danieの人間としての器の大きさを目の当たりにし、感銘を受けました
個人的に一番印象に残っているのは、今年のW杯札幌大会一日目。意外にも札幌での初優勝を飾ったDanie私も、表彰式後の優勝インタビューと記者会見でDanieの通訳を務めることができました記者会見等では何度も通訳をしたことはあるのですが、個人的に、「優勝したDanieの通訳をする」という夢がありました私にとっても念願が叶った瞬間で、思い出深い試合となりました
現在のAUTチームはどんどん若い選手が育ってきており、その中ではぶっちぎりの最年長笑 チーム内では"Oma(おばあちゃん)"と呼ばれているくらいで、最年少のキアラ・ヘルツルとは14歳の年の差があります チームの他の選手たちにとっては、選手としても人間としても「偉大なお手本」Danieと一緒に世界を転戦することで、各国の選手たちにとっても、いろいろと勉強になるだろうと思います。
苦労人だけに、本当に周囲への感謝の気持ちが強い選手です。数年前、札幌での事前記者会見で、お開きになる直前に「どうしても一言、言いたいことがある」とマイクを手にしたDanie。
何を話すのかと思ったら、「この札幌と蔵王を合わせて、4試合もやってくれるのは日本だけ。この場を借りて心から感謝したい」と今でこそ、ノルウェーやロシアでの試合数も増えてきたけれど、この時は4試合開催するのは本当に日本だけだった。まだまだマイナーで、男子のようにW杯を開催したい都市がわんさか、とはいかない女子ジャンプ界の実情を理解し、そんな中で、試合で飛べることの喜び、すごさを知り尽くしているDanieだからこそのコメントに、不覚にも目頭が熱くなりました こんな風に言ってもらえたら、それだけで、関係者の苦労も労われるというもの。記者会見会場で、記者からも自然と拍手が沸いたのは言うまでもありません
プライベートでは既婚者。同性愛者であることを公言しており、パートナーは救命医 「家に医者がいるっていーわよー」と常々言っています。そうだよね、特にスポーツ選手はね~
サッカーも大得意で、夏の間は主に、ジャンプよりもサッカーでトレーニングをしています何度も膝をケガして手術をしているので、夏はあまり飛ばずに過ごすことが多いです。
そんなDanieの素顔は、マイペース、そしてとにかく大人!ひょうひょうとしているし、周りに迎合したりすることはなく、常に「自分がすべきことは何か」を考えて行動できる人。まあ、大人だしね普段は冗談を言ったり、ひょうきんでユーモア溢れるDanie。2018/19シーズンでの引退を考えていたけど撤回、現役続行 まだまだ飛び続けて、女子ジャンプをひっぱっていってほしいです そして、まだまだ札幌に来続けてほしいです
↑なんかあんまり良い写真がなかった😓