俺の自信はどこから来るか | まあのブログ

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夢日記や神学などを書いております。

・和歌の適性があり過ぎる。和歌の適正は一様ではないが、俺も究極の一つだろう。「儚さを花鳥風月=美しい素材で表現する」

 

・和歌を詠める。「歴代の天才たちでも詠めなかったものをお前に詠めるわけがないだろ。はははw」と馬鹿にしてくれた奴等よ!

 

・陶器や近代西洋絵画のニュアンスに敏感で俺より上はいない(と思い込んでいる。俺なりの受け止めも一つの究極)

 

・文系偏差値80オーバー。理系偏差値は40だけど。文系能力100、理系能力2。文系意識98、理系意識0。高校で行われた公式のテストでの結果。全国かは分からないが、一校だけでなく一斉的なやつ。

 

・早稲田塾の先生や松岡先生に褒められ、「だったらもうそれ以上ない」と思った。宮台真司さんや浅田彰さんや池田信夫さんも俺を馬鹿だとは思っていないだろう。

 

・俳句に全体重を乗せられた。俺の美意識、学んできたこと、日本と言う方法色々、編集術。全体重を乗せ切れたので、貶されても俺としても冷静にその罵詈雑言や批判を聞ける。

 

・MW3DZが得意。俺の脳ミソの全てを出し切れた。

 

・保田與重郎のTwitterbotを作ったのは私であり、私より保田與重郎を使いこなせる奴はいない。日本美に非常に敏感なことが証明される。推して知るべし。

 

・福田恆存が「私の言うキリスト教は近代に於いて完成した宗教である」と言っているように、キリスト教を俺なりに消化昇華している。グレングールドが対位法に拘ったように、私は相対性とユーモアの大切さを基本としながら、美を決断する。そんな神学を繰り出し続けます。

 

・西洋文明が問題にし続けて来たこと や 歴史的展開は、俺の問題意識と成長の歴史に重なる。「俺=西洋文明」と思える。

 

・俺はベルゼブブ。「一寸先は闇」と本気で思えている度合が強い。お前等と来たら、本当はあまり闇じゃねえのな!地雷除去をしている人達に比べれば、確かに闇は浅いかもしれないけど、満遍なく薄暗いw それに自信ありますw。「政治とは可能性の芸術である(ビスマルク)=政治とは可能性を扱う仕事である(俺)」

 

・flickrで写真を集めた。「日本美」で、ああいう風にできるよ。ところで諸君には出来るのかな?

 

 

・「色々書いてあるので、そちらをご覧ください」

 

・「書くと忘れるんですよね」

 

・「持ち帰って検討します」

 

・「思慮深いんで」

 

・「都会っ子なんで」

 

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「キリスト教は憎悪の宗教」という説は、やはり私にも興味深くて、ニーチェもDHロレンスもハンナアレントも、チェスタトンも明確に言及している。

 

「弱者の嫉妬、活き活き生きている奴等への嫉妬、健康への嫉妬」etc

 

ところで私は昔から「なんでこんな奴が威張ってんだ?」と言われることがある。

 

ギリシャでは自由学芸が高貴な学問とされ、その上に詩人がいる。

キリスト教時代になると「哲学は神学の婢」と呼ばれ「神学・哲学・自由学芸」という順番だ。

フランスって何の国?料理?恋愛?いや違う。芸術の国ですらない。そう、哲学の国。

戦争で威張るのは指揮官であり、現代世界で幅を利かせているのはGAFAであり、その社長達である。

屈強な兵士より銃器の方が強く、さらに核兵器の方が圧倒的である。

修道院やオックスブリッジは引き籠りの聖地だが、世界に影響を与えている。

ビルゲイツは「オタクタイプを大切にすると良い。将来彼等はあなたの上司になる可能性が高い」と言っている。

モンゴルの諺では「体を鍛えると3人〇せるが、本を読むと1000人〇せる」と言われる。

 

「なんでこんな奴が威張ってんだ?」という問いにズバッと返そう。

「16タイプ診断で言うと建築家だからである」

さらにテストステロンが多く、攻撃的で支配欲が強いからである。

「攻撃的な建築家こそ男の中の男であり、男性的な才能の塊」と信じちゃっているからである。

 

ところでキリスト教が憎悪の宗教という話なのだが、私からすると、「戦争に向いた社会を作ろうとする宗教」ではある。

戦争に威力を発揮する司令官や科学者が成長するまでには時間が掛かる。小学生の段階で暴れる奴等に潰されてしまうと、金の卵が劣等感に陥り、十分に育てない恐れがある。

そうならないように司令官や科学者候補を、子供の頃から大切に扱うようにする社会的厚みを自覚的無自覚的に作って来た、というのが私の見立て。

 

ヨーロッパは群雄割拠で地続きなので気が抜けないのだ。勝てる男を確保しないとヤバ過ぎる。

 

小学生は勢いだけ。

中学生は不安定過ぎる。

逆にこの頃の男なら、女の掌の上で転がせる。実際に中学生までは女の方が肉体的にも大きい程だ。

 

高校生になると、男は自分の世界を持ち始める。自我も安定する。「自分は自分、人は人」と思えてくる。ユーモアセンスまで身に付けられれば最高だ。ヒステリーからの卒業である。

肉体的にも男の方が大きくなってくる。

即ち女の掌の上で転がせなくなってくる。男には自分の世界があり、恋愛や結婚もどうでも良くなる。一方女は恋愛や結婚に惹かれ続ける。男に振り回される段階に入るのだ。

 

女は威勢がいい男に惹かれるが、威勢では戦争に勝てない。威勢のいい男は女を楽しませる役割は果たすが、それはアイドルに過ぎないのだ。女としては男には自分達を楽しませる存在であってほしいから、男に「むくつけき兵」になってほしくないわけだ。だが男の世界で威張るのは「戦争に強い奴」である。

 

小中的基準でカーストを決めると、女好みの男に威張らせると、戦争に弱い国になってしまう。それは致命的なことだ。

そもそも男の本能に合っていない。小中基準で威張っている男など、脳ミソが女性化されたオカマに過ぎない。

 

キリスト教が「憎悪の宗教、リベンジの宗教」と言うのは、私からすれば「小中基準で威張ってる奴等バカじゃねえの?」と言うことであり、それは「戦争の宗教」だからである。

 

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