【意外な時こそ冷静に。そうは言っても難しい。日頃から注意したいポイント】
・救急車は119。間違えるな!
・油断禁物!慣れこそ大敵!そこが悪魔の住処だ!
・扉が外れることだってある!意外なものが意外に壊れる!気を付けろ!
・カミソリで怪我をしないように注意して毛を剃れ!
・包丁を落として足にブッ刺すな!ちゃんと持て!
・指をはさむな!勢いで開け閉めするな!Be gentleman!
・コードに引っ掛かって転ぶぞ!コードを切ったら面倒臭え!よく見て歩け!
・電源に触れて感電するな!マンガか!
・こぼさないよう注意しろ!水もタバコも何度ひっくり返した!!
・車と同じで幅を意識しろ!自分の体のサイズを弁えないからどこかにぶつける!!
・画鋲やハサミを踏むな!ガキか!
・火傷に注意!揚げ物を落として跳ねて大火傷!
・信号が青でも車に気を付けろ!右も左も見らんねえのか!
・駅や信号で後ろから押されて死ぬぞ!気を付けろ!
・ゴキブリは出る!スプレー、ホイホイ用意したか!
好調な時もあれば不調な時もある。
いつでも絶好調ってわけにはいかないよね。
そいつなりに何かやってんだから放っておけば良いんだよ。
ヤバそうだったら「大丈夫か」で良いんじゃない?
「デカい口叩くな!」じゃねえだろクソが!!
デカい口叩かれたら、それを楽しめる男になりなさい。
PS そもそも普通に喋ってるだけ
「あなたが悪いの」って、
「気付くべき現実から目を背けていたのに、
それを突き付けて私を不快にさせるあなたが悪いの」の略?
私が心を入れ替えて善人になったとしても、
この世に悪の種は尽きまじ。
PS そしてそもそも善人
人を殺して、あくどい顔になる動物はいない。
善悪の彼岸だからだ。
機械も同じこと。
人間ならば平然と善を積み重ねろ。
すげえ違って皆いい。
コミュニケーションできない程の異質さを。
そうなったらどうしますか?
全身全霊一期一会で通話すんだよw
インドってインド人同士で言葉が通じないことがあるんだって。
ハートウォーミングじゃない?
俺はよく好き嫌いで物を語るが、
「所詮は好き嫌いでしかない」という意味の
諦めと皮肉である。
「ねえ、ママ。誰でも出来るようになると暇人が勝つの?」
明日地球が滅ぶとしても、いつも通りの生活を続けるように
超人になっても超人を目指すくらいでありたい。
現状や前例に拘るのではなく、何の脈絡もなく出現させる。
私利私欲か無私無欲かなど見分け難いものなので
「普遍度 高い低い」「理性的か感情的か(脳検査で反応箇所を調べる)」など
軸をそれなりに用意してパコパコ当て嵌める戦法。
「全然違いますね」
「違ってもノーダメージですね。ここに於いては勢いを取りますね」
「~~しているだけ」という言い方は健やかでないね。
そこに収斂させるためのメカニズムを作り上げるのに人生の大半が費やされるわけで。
上には上がいるとわかったら、
そいつに喰らいついて学ばなきゃダメだ。
「究極的にはどちらも正しい」ので議論には意味がない。
それに対する反論として「気付きやアイディアを得る切っ掛け」として良い、という意見もある。
「全ては相対的である」ことを忘れた議論など下品なだけである。
男は赤ちゃんであり、女は動物である。
「男が動物を好きである」より「女が赤ちゃんを好きである」気持ちの方が強い。
男が赤ちゃんとして女に甘える方が効率が良い。
ゲームで育ってないと「淡々としていない」ため
「冷酷な決断ができない」ばかりか
「必要もないのに冷酷な決断をし、冷酷な自分に酔う」ことすら考えられるので
やはりゲームで育てるべきだ。
PS ハイスコアを叩き出そう
レッテルが全く貼れないので、
現象の羅列でしかない。
そんな自分が嫌いではない。
自分の成長などと言う、あやふやなものを、それでも予想しようとする。
いや、それが良いか悪いかは分からないけどさ。
「思い遣りなく生きているのがお前等なのだから、この期に及んで何を言う」っていうのはあるよね。
いや、面と向かったら優しくなるのが人間ってもんだろうし、
それがこの世を救ってるんだろうけどさ。
「覚悟が足りない」って言うか。
いや、「覚悟しろ」って言いながら
いざとなったら俺は逃げるよ。
それでも自分なりの覚悟を持っておけば何か違いそうだよね。
全ての人をゲームソフトだと思えば、
攻略することも、真摯に学ぶこともできるはずだ。
合う合わないはあるから、その辺は自分で判断すれば良いよね。
「技を出すこと」が勝利に繋がると言う本能。
「不動であること」が勝利に繋がると言う本能。
恥知らずであること
脅迫に屈しないこと
一人が好きなこと
独裁するに足る最低限の知性を持っていること
他は何とかなる。
無能なのは皆同じ。
どんぐりの背比べなんて意味がないよ。
PS チャーミングであること
平安朝の散文がクールなのは、あちらからこちらに強制する節が無いためで、仮名書を見れば分かる。ダサいのは結局「勝手に盛り上がっている」からで、分節をこちらの気分に任せてくれれば、それはいつでもクールである。ところで言語ごとに印象があるように単語ごとにも印象はあり、癖が簡単に抜けないのはいつも言っている通り。
そういうこともある。
でもこういうこともある。
クラシックを勉強すると、
頭が重く、尻が軽くなる。
お辞儀してるみたいで、なんか良くない?
不易流行の不易を女の本能ではなく、男の本能にしようよ。
古典にも色々あって、知識の古典、芸術の古典、礼儀の古典、料理の古典、運動の古典など挙げるだけあるくらいである。「古典が提示するセット」には謙虚に学ぶと良いが、古典は一つではないわけだ。
PS なんだかんだで「知識」を「真」にすんだね
四股名「内弁慶」。横綱になる頃には世界がdomestic。
AIに人を導かせれば良い。
「同じような人間ばかりになる」と言われたら
「既になっている」あるいは「AIを多数用意すれば良い」と答える。
導きAI大合戦だ。
アングロサクソン以外客観的認識力が無いので、
殺した上「死んでないと思え」と言えば、納得してくれる。
韓国はハングルで、中国は漢字だから、かえって絵としてのデザインに心を配るが、
日本の場合「漢字かな混じり文」であり「マンガ絵≒文字」ですらあるので、いつまでもモジモジしている。
ゲームの進歩は「時代とかどうでも良いから」と言う人達にさえ、「俺達には俺達の流行がある」と言う人達にさえ、時代の進歩を突き付けるくらいなのでは?
PS トレンドクリエイター
男には「二元論とカタルシス機能」があるが、女にはどちらもない。
不潔まっしぐらであり、そんなものに付き合うべきだろうか。
君に任せる。
「言い訳」じゃなくて「自己分析」な。
そんなこと言ってるから、いつまでも経っても成長しないんだよ。
「偏見が無いと疲れる」というなら「サヨク情報はウソだ」という偏見がオススメで、それに対して「ウソだとしてもそれを切っ掛けに考えられることは色々あるはずです」と来るなら「それなら他の情報を切っ掛けにします」と返せば良い。切っ掛けにならない情報はない。
レッテル貼りなんて、そもそも弱いし面白くない。
「龍馬灯」という言葉を聞き間違いから思い付いたのだが、
先を越されていた。
つけ蕎麦屋に。
「スポーツで何を鍛える?」
勝負強さ、身体能力、カタルシス機能。
人間関係は優しさとユーモアに換算しろ。
上下関係だの常識だのは必要ない。
「悲しく楽しい生き物」
女が潰そうとするのは宗教改革を起こしそうな男。これだ。
「キリがねえよ」って、
「無いよ」。
油絵も切りがない。お前次第だ。
元より完成など無いのかも知れないし、とうに過ぎたのかも知れない。
好きなだけ塗りたくり、好きなだけ削り取れ。
「そこは思い込みで押していきたいと思います」
皆スーパーマンなら、誰でも何でもできる一方、
誰が何をするか全て予測できるわけだが、
現実的には予測力が追いつかない。
それが近代、と言うより人類。
一寸先は闇ってね。
若き日に「方法的制覇≒徹底したマニュアル化、淡々とした攻略」を説いたヴァレリーは、
一方で「予測不可能性」を説き続けたのだった。
ちなみに「テスト氏」は近代の勝利者である株屋。
「たかがこんなカスリ傷を負わせただけでそんなに嬉しいとは大した殺人剣だ」 緋村剣心
本当の人斬りはかすり傷を負わせた程度で喜んだりはしない。
それどころか自らの未熟さを情けなく思うことだろう。
福田恆存の『私の幸福論』は
まるで「目的型スポーツの勧め」のようだ。
【理性とカタルシス】
小学校の卒業式、一人づつ体育館の舞台に立たされ、中学校での抱負を発表させられた。俺は「英語とスポーツに力を入れたいと思います」と欲張った。実際に頑張ったわけではなかったが、今ならこう言える。「日本語を外国語のように扱えるようになりたい。そして男にとって何よりも不可欠なカタルシス機能を育みたいと思っています」ってな。「俺は男になる」、そう宣言していたんだ。
俺みたいな奴に威張られて、他の奴に威張られるよりムカついちゃうなら、男に向いてないよ。
確かに人間やっていれば複雑な心、細かい感情が生まれる。
それを放置するのではなく、礼儀や作法に結実させた方が、かえって楽なのかも知れませんよね。
でもそれにしても、礼儀や作法に煩いのもやっぱり鬱陶しいですし、
そもそもカタルシス機能を育めば、スッキリ生きられますよ。
PS 社会なんかに関わるな
本当に性欲がある人間は、言われなくても〇〇〇〇を揉み、〇〇〇〇〇を吸う。
実は性欲が無い人間は、言われているから〇〇〇〇を揉み、〇〇〇〇〇を吸う。
足元を見詰めなければ夢に向って行くことは出来ない。
夢を見なければ歩くことすら出来ない?
まあ良い。好きにすると良い。
【思春期、ロマン派、器】
モヤモヤは強力だが、モヤモヤしているだけでは戦えないので、
モヤモヤを器に入れる。それが職業だったりする。
やがてモヤモヤは器に応じて固まり始める。
受験勉強という器に入れると、
いつまでもモヤモヤしながら歳を重ねてしまえるのではないか。
モヤのような細かな器に入れられたモヤモヤ。
思春期に寄り添い続ける。
塾の講師はいつまでも若いし、
そう言えばドイツロマン派の多くは家庭教師なのであった。
「品数と動きを確保するためにクリティカルを忘れさせてよ!」と言われても・・・。
元より女っぽい男は、
女と付き合う上で、
女に気を遣う必要が無い。
俺は男っぽいから女と付き合わない。
面倒。
何より「ジャンプ魂」を学べ。
「走ると怪我する」だのうるせえ老人は叩き潰せ。
ジャンプ魂を磨き抜き、お前なりのカタルシス機能を育めばこそ、
怪我の知識も身に染みる。
戦いの中で教えてくれた治療法なら言われなくても覚えてるだろ?
森茉莉が「仏蘭西人は略することを嫌う」と言っていたが、
俺は「漢語は人を愚かにする」と言う。
一見サラッと格好良いが、レッテル貼り的放言であり、結局君をダメにする。
平安朝の女流日記や近代の哲学者のウネウネが君を知的にする。
考え続ける力を手放してはならない。
ちなみにウネウネに区切りをつけてほしい女達は、
偏差値60程度のアーティキュレーションを喜ぶが、
男がその期待に応えてやる必要はない。
「ひたる」、これより良い勉強法があるだろうか。
「止むを得ずひたる」、最高だよね。
近代の思想家にせよ、クラシック音楽にせよ、
彷徨っていた時期に縋るように浸ったものこそ本当の血肉になってるって思えるんだ。
男は男性的原理が五臓六腑に染み込むまで、女に交わるべきではない。出来れば三十歳を超えるまで慎むべき。最低でも二十歳までは女に関わるべきでない。未成年の男女交際は〇〇〇に限る。〇〇〇に対しては中学生・高校生から積極的であれ。出会いの場を設け、乳繰り合えばよろしい。それ以外の男女交際は不純異性交遊である。爺婆になってからで良い。「それだとお互いのことを学び合えない」と言うなら、男はホモバーを、女はレズバーをそれぞれ必須科目にすれば良い。ホモやレズに男女の心を学びながら、自分でも実際に客と主の両方を経験してもらう。
自然現象を観察していると世界が諸行無常であることが分かる。
怪しい忍者は怪しいから戦争挑発的であるが、私は戦争好きなのでそれで構わない。だが怪しい忍者としての経験が足りず、一人前の怪しい忍者とは言えない。一人前になって尚スパイと違うところは「見つかっても良い・戦争挑発的」とかかな。
喧嘩ではなく戦争だ。
華が無いのは当然だ。
戦争の8割は戦略で決まる。
戦略の8割は兵器で決まる。
要は戦争とはセッティング次第なのだ。
ラインハルト・フォン・ローエングラムが戦争の天才である理由は
華麗な戦術にあるのではない。それは彼の才能の一端に過ぎない。
ローエングラム公ラインハルトが真の戦争の天才たる所以は
戦争が始まる前に戦争に勝つ条件を整える能力にあるのだ。
途中で遮るのではなく、とりあえず全部受け取ってしまう。「言いっ放し、聞きっ放し」ってやつよ。そうすると大体そいつの言いたいことが分かって来る。それで良いんだよ。詳しく問いたい奴は後でそうすれば良い。
小麦栽培が得意な地域は小麦に特化し、マグロ養殖に最適な地域はマグロに特化する。しかし「小麦栽培が得意ではないけれど続けていたら特異な小麦が出来た」なんてことは幾らでもあるわけで、幼児期の得意不得意に任せても、後で幾らでも巻き返せるのかも知れない。
と言うことを「俺に対する説教」として言っていた奴等の愚かさよ。お前等は単に女子供で、あらゆる理屈を女尊男卑に捧げてるだけ。
筋トレ彫刻トラゴディア(悲劇)
オリンピックにカタルシス。
これだけを以てしても西洋文明は正しい。
旨味に消化しろ。
物知り発表会じゃねえぞ。
お前の人生の主役はお前だ。
ウンコもする。
ウンコしたらお前はお前でなくなるのか。
華がない?
上等だ。
華なんて要らない。
お前であればそれで良い。
テクノロジーも発展して来たな。
じゃあ「日本人全員が内村鑑三でも生きていける」よな?
20年前の約束、忘れたとは言わせない。
ふとした切っ掛けでオセロの白黒なんてひっくり返る。
あの時の「可愛げ」が、喧嘩になると「キモさ」になったりね。
まことに川の流れのようだね。
女はヒステリー、男はニヒリズム。
男が女の真似をしても始まらない。
少年ジャンプは男心のフラッシュカード。
ボヤボヤした記憶だからこそ色々なものを呼び寄せる。
いよいよ男は感極まる。
「平和と偏見は表裏一体」
「多摩を差別する文化はあれどカマを差別する文化はない」などと言うが、俺は場だの空気だの流れだの言ってるクズどもを「女みてえな男」と正々堂々見下してきた。LGBTIそれ自体を馬鹿にしたことは一度もない。
確かに厳しくもある。
ただ「それをどう糧にするか」と考えなければ
もっと厳しい気もする。
リラックスするだけリラックスできたら、また次の一歩を考えてみようよ。
リラックスもできない人は?
皆で社会を変えて行こう。
感想の方が上で、
感想は色々なものによって絶えず更新され続ける。
強制的に治せば良いんじゃない?
外科手術は言うまでもなく、
薬だって強制かも知れないよな。
治療なんてそんなもんだろ。
「誰が何をどう言っても良い」というスタンスだけど、
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という心構えでいれば、
自然と謙虚になっていくんじゃないかな。
出るんだったらドンドン出しちゃって。
後で整えれば良いから。
音読だったら音読
書き取りだったら書き取り
スランプや暇な時は
時間や範囲を決めて
一本槍でやり切っちゃえば
なんか良いことあるかもよ。
今度はどの一本槍にするか。
作戦を練っておこうぜ。
「自信がある」のもそうだけど
「自分のセンスが好き過ぎる」ので
自分を伸ばすしかないんだ。
「誰に何と言われてもやるしかない」って
贅沢な環境だよね。
「引き籠るなら、どこでも引き籠れる」って言うけど
北海道で引き籠るのと、沖縄で引き籠るのとでは微妙に違っていて、
その違いが大きな差になるんじゃないかな。
「いちいち私達が分かるやり方で反応してよ。そうじゃないと分からないじゃん!」って、
戦争なんだろ?
PS ミスターポポ
例えば俺だったら、
MW3DZとかGHEXとかは仕事として取り組んでいる感じ。
仕事だからこそ好調不調に関わらず淡々と繰り返せるし、
慣れているからこその工夫も出来る。
でもそれだけではなくて、
揺らぐような、憧れるような、日頃の掛け替えのない感性もあって、
そこに手を伸ばしていきたいんだよね。
でもそうやってチャレンジできるのも日頃の仕事があるからかも知れなくて、
その両方を持てると良いよね。
仕事でないものは不器用で不細工だったりするけど、
それを乗り越えて今の仕事があるのかも知れなくて、
だったらやっぱりいつでもそういう姿勢は保っておくべきじゃないのかな。
両輪って言うかさ。
仕事以外の虚ろな自分を持ってしまうから
当て所なく彷徨ってしまう、無駄に時を費やしてしまう。
そんなこともあるだろうけど(そう思うことばかりかも知れないけれど)
でもそれが無かったら「君はなんなの?」ってことになるかも知れないわけで、
やっぱり自分の感性に正直でありたいよね。
PS 将来なんになろうか?
「カオスを拒む」ってのはそういうスタンスとして分かる気がするんだけど
「カオスから拒まれる」ってどういうこと?
「秩序」は「カオスに襲われる」だから「拒まれる」ではないよね。
「カオスからさえ恐れられるカオス」ってこと?
愛〇?
PS 愛〇やカオスからさえ拒まれて
詩人は言葉そのものに拘りがあるから
ぎこちなくなって、不器用になって、どうしょうもなくなることが多い。
詩人でない人の方がかえって流暢に器用に上手いことを言う場合も多い。
俺はでも、その辺は昔から「勝ってる感」があったけどね。
「今日も吃ってやったぜ」みたいな。
「吃る方が偉い」みたいなね。
詩人なんてボヤボヤしてるのが仕事みたいなもんだから、それで良いんだよ。
変に流暢になることもあるんじゃない?
面白いよねw
PS 天才バカボン
若い時に何らかの主義思潮に共鳴することはよくあることで、逆にそういう経験の無い方が恐ろしい。極端な考えと言うのは、その論理で突っ切っているから極端なわけで、それはそれで学べばよろしい。ただ「論理の数なんて無限だ」ってことにも間もなく気付いてほしい。
古典を鏡にすると、そこにどんな自分が映るか分からないが、
かなり深くまで映し出してくれるからオススメ。
例えば「あいうえお」という文字も古典だが
書かせれば十人十色である。
女が「キモイ」と言ってくるタイミングで
俺は自らの精神に「立派さ」を感じる。
場だの流れだの空気だのは粉砕しなさい。
どれだけ粉砕しても、別のそれらは無限に存在する。
「~~を切っ掛けに、頭の中でチャカチャカやっていた」ってのはあります。
ex、
「読んだ本を切っ掛けに、詳しくありませんが自分なりに考えていました」
「友人の一言を切っ掛けに、思い出すとたまにやっていました」
「プールで泳いだのを切っ掛けに、我流ですが溺れない程度にはなりました」
「そこまでしてやっと女性と付き合えるの」って付き合わねえよw
石黒教授の授業をBSで少し見ていた。ああいう人の言葉を聞いていると細かいことに拘ることは愚かと思うが、一方「細かいことこそが」とも思う。まあ、ノリノリのメンタルに寄与する方を取ろうか。
「あいつはもうダメだ」などと言うことはなくて、
存在する限り、淡々と何かを仕出かすことが出来る。
「しぶとい」って言うか、それが人間として普通だよね。
PS 少なくともヤワじゃないぜ
薄気味悪い奴には「キメえぞ」で切り捨て御免だろ。
逆に言われた時には「俺は俺だ」で生きて行けばOK。
凌げれば良いんで、コートを着るのに一々キメる必要はないわけです。
防寒着として機能すれば良い。
コートも自分もダサくて良い。
女が男を馬鹿にする時に、「にぶい」とよく言う。
「にぶい」は結局は「ダサい 悪い とにかく嫌だ」など総合的なニュアンスを持っているのだろうが、
俺としてはその殆どを無視する。
ただ少なくとも、こう言っておきたい。
「この人、私達と同じじゃない」などと喚くな。
仲間以外は皆風景、田舎的同質性前提、ガキどもの流れ万歳。
俺の知ったことか。
エビ天の本数で人間の価値が決まるかっての。
ふざけんじゃありませんよ。
PS 上等だ
と言おうと思いましたが
そこまで天丼に拘りがある御様子を窺いますと、
「並々ならぬ思い入れがおありなのでは?」と。
まあ、好きなものを美味しく頂ければ、それに越したことはありませんよね。
PS ご多幸をお祈り申し上げます
自分の得意なことだったら、仮に他人のせいでも、とりあえず自分のせいにしてしまえば成長の糧にできるだろうけど、不得意なことだったら難しいよね。いや、なんか俺は怒りっぽいんだけど、全てを自分の任務として引き受けるロボットなら怒るもなにも、全部自分のミッションとして取り組めるから羨ましいなと思ってさ。
「俺に威張らせると、真の男性がわんさか湧いて来るから、良いよ」
「愛〇レベルの男らしさ」
「結果が出てから、因果関係を整理されても、
実際には、どの要因がどのくらい影響するかなんて分からないわけで・・・。
まあでも確かに、あんまりアホでも困りもので、ある程度は頑張りたいと思います」
「技術が進歩するから、人間は動物的になれば良いんだ」と言うが、
技術が進歩するなら、人間の動物的側面もカバーしてくれるはずで、
「動物的になる」必要もないだろう。
「技術の進歩でいよいよ動物的になろう」と言うなら、
「いよいよ人間的になったって良い」はずだ。
「欲望に正直になろう」と言う意味なら、
「我慢」も欲望の一つであり、
「人間的欲望(?)」も「動物的欲望(?)」もまた然りである。
人間の特徴は「欲望が複雑」であるところにあるように思う。
「ゲームと受験勉強に習ひて」
言い換えれば
「私が尊敬する近代の思想家に無いもの、且つ、優っているものに習ひて」
言い換えれば
「古典そのもの、あるいは、古典も内包するものに習ひて」
「古典と癖」
「得意と好きと親しみ」
これだけで相当いける。
と言うより人類トップを楽勝で狙える。
学者というのは前例が好きで、未来も前例で縛ろうとする。可能性を剪定することによって安心を獲得しようとするのだが、可能性は図太いので刈り取りを凌駕する。
「十戒以外を御自由に」。「その十戒をどう定めるかこそが政治」だと思うね。
【女は受胎する性、男は男子校で育て、日本人女性には中国語を習わせるべき】
女は受胎する性であり、世の様々なものが受胎させる力を持っていることを知っている。「人の話を聞け」などと言うが、聞いたが最後「言葉にもDNAが貼り付いている」ことも知っている。ところで「結婚するなら日本の女」と言われるように日本人女性はモテる。女が本来持っている性質を多分に有しているからだろう。ところで女は粘土である。捏ね手によってどんな形にでもなる。日本人女性は物凄く女性的なので捏ね手に左右される傾向がとても強い。即ち「好い捏ね手に巡り合えば国宝級の器にもなれるが、捏ね手が悪ければ100円ショップでも売れないようなゴミ」になってしまう。だから変な奴に近付かれることを極度に恐れる。受胎してしまうからだ。「変な癖や痕跡や空気を混ぜ込まないで!一生消えないのよ!」と牙を剥いてヒステリックに鳴き叫ぶ。男からすれば面倒この上ない。何故ならこの世の半数は女であり、キモオタも歩けば女に当たるで、近付きたくなくとも、生きている以上女に近付かなければならない場面は出て来る。その度にヒステリーを起こされ引っ掻かれていたのでは堪ったものではない。女としても社会に出て、世の理を知り「キモオタもイケメンもあらゆるものの痕跡を受け入れて生きて行くのが人生なんだ」と知るに至るのかも知れないが、既にその時は20歳過ぎであり、社会はヒステリーによる戦禍でズタズタになっている。男の子達もタダでは済まない。生き残っている奴が何人いるか。
そのような災いを避けるためにも、やはり男子校が手っ取り早いと思う。出来れば30過ぎまで、少なくとも25くらいまで。小学校から大学まで男なら男だけを集め、五臓六腑に男性的原理を染み渡らせてから女に接するべきだ。男性的原理が身に染みておらず、自らに合ったカタルシス機能も構築できておらず、即ち男として自信がないうちに女に接すると、貶され引っ掻かれ、男としての自信を喪失する。「女に合わせられない俺が悪いんだ・・・」と悩み苦しみ死に至る。死を免れたとしてもゾンビのようになる。女の意識的無意識的狙いは「女にとって都合の良い男=イケメン」以外をゾンビ化することにあるのだが、男が女の都合に付き合ってやる必要などなく、男は男性的原理を貫けば良いのである。
ちなみに女のための教育方針としては「易々と受胎しない心を作る」ことを前提にカリキュラムを組むべきで、女としても受胎しにくい精神を作れば、誰と付き合っても「穢れずに済む」のである。あっけらかんと生きられて良いよ。藻のような精神なんて焼き捨てなさい。日本語は「相手に寄り添う言語」なので、中国語のような「雄叫び的言語」を習得させるのも良策だ。「相手に寄り添ってしまうからこそヒステリックに遠ざける」のだからね。相手に近付いても雄叫び的に自己完結していれば、いくら近付いても相手を受胎する心配は低かろう。一方、女の場合「一度受胎すると他の精子を受け入れず閉じる」ので、お笑い芸人などによってユーモアセンスも身に着けさせ、頭を柔らかく保ちたい。
俺が西洋人女性を好むのは簡単な話で、見た目が美しく、性格が男っぽいからである。日本人女性・東南アジア女性など気持ち悪いだけであり、東洋人女性で良いのは「我が強く教養のある中国人女性」か「俺のファン」だけである。さらにモデル体型であることを求める。東洋人のアイドル体形には絶望しか感じない。
大脳新皮質は人間にしかない。
動物は得意技を徹底的に磨く。
「人間も動物だ」と言うなら、
大脳新皮質を徹底的に磨くべきだ。
「人間は人間であり、動物ではないから、得意技ばかり磨くべきではない」と言うなら、
動物を見習って得意技ばかり磨いた方が得な気がする。
脳幹も大脳辺縁系もあるのが人間なので、
それらも活性化させた方がもっと得な気がするが、
どれか一つなら大脳新皮質を選ぶべきだ。
選ばずとも自然に選んでいるはずなのだ。
「だから?」って
「そこから色々な展開が考えられます!そうさ今こそアドヴェンチャー!」
「喰っちゃ寝の引き籠りジム」って強過ぎるよ。
修道院・オックスブリッジ・相撲部屋。
「書を捨てて外に出よう」って
出ねえよ。
「街から刺激を受けろ」って
部屋の方が刺激的。
たまに出るし。
たまに出ると近くのローソンも輝いて見える。
いよいよ籠りに精が出る。
ひきこもり方式で勉強する場合
「ひきこもりなんだから世界最高に決まってんだろ」くらいの自信がないと、
その自信のなさがネックになりそうな気はする。
【クラシック音楽は「具体例噴出話」の最高の切っ掛け】
20代半ばまでは連想に次ぐ連想で、具体例も燃え盛るように出ていた。しかし、いつか自分でも嫌になっていった。「レディメイドからオーダーメイド」運動の一環だろうか。ただ私の中に眠る「具体例噴出話」が消えてなくなったわけではなくて、それは今でもクラシックのことを喋る時に自然と出て来るような気がする。「具体例噴出話」もいつの間にか熟成に入っていたのかも知れない。
チラ見の溜めがあったので楽典は2年くらい前に10日でかなり学習できた。ただ音楽家のようにソルフェージュが出来るわけではないし、具体的な指摘も出来ない。だからと言って「あの演奏はこうで、この演奏はああだ」などと言うのは日常茶飯事。逆に漠然としたことしか言えないので、その印象を形にしようと俺の脳ミソが活性化されるのだと思う。
そもそも俺が好きなのは「和歌・陶器・近代絵画・クラシック・女体」で、全て「ニュアンス芸術」である。感覚を細かく複雑に刺激してくれるものが好きなのだ。何かに触れて芽生えた感覚は脳内の色々な部分を刺激する。五感に変換され、アイディアの「シミソバカス」を提供してくれているはずなのだ。それなのに具体的な知識があると、その様々な断片を知識に集約し、集約する中で捨ててしまうものが多くなる。俺の場合、音楽家のように音そのものを具体的に分析的に指摘できないからこそ、その断片を音楽以外の「抽象的な具体例」に結び付けることが出来ているのかも知れない。
「コンニャクだってやれば出来る!」
「悪人なら悪人らしく、俺に絡むべきでないだろw」
「プロじゃねえんだから動けりゃ良いんだよ。なに熱心にマークとかしてんの?」
「プロじゃねえんだから戦術ガチガチじゃねえけど、勝利のために出来るだけ合理的でありたいんだよ」
PS 体操選手にでもなれば?
「ただ羅列してるだけでしょ」って
機械じゃないんですから、そこに僕なりのテイストが出てるに決まってるじゃないですか。
PS 人間だもの
「ところが」という接続詞を人類史上初めて使った人間だとして「ところが」と「しかし」の違いを分からずに「てめえはバカだよ!」と責められている少年を前にしたら「私はところがの始祖ですが君は間違っていないよ。Don't mind!Take it easy!」って言ってやれるよな!
そもそも接続詞の文法・語法的分類なんて極めて疑わしいもので、語源からして、そのように分類されるのはおかしいと思えなくちゃいけねえ。
この俺様に向かって「あいつは落ちた」なんだの言ってた奴等もいるけど、
そもそも人生なんてそんなもんじゃないよな。
じゃあ「俺が抱いてやろうか。ク〇〇しまくってやろうか」ってな。
それだけで人生変わるぞ。
人生って面白くない?
【なぜ俺は凄いか、絶対値に敏感だから】
南極とか北極に住んでいれば、世界のことを殆ど知らなくても「俺達の氷関連の技術って世界トップレベルっぽくない?」って思えるはずで、それは寒さなどが本能・致死レベルに到達しているからだろう。
刺身ばかり食べている民族がいれば「魚は生で食べるものと決まっているのかも知れないし、それは世界共通かも知れないが、俺達は俺達で生で食べており、俺達の刺身レベルもone of 最高sくらいにはなんじゃね?」くらいには思えるだろう。生で食べる技術にも色んな方向があるものの、少なくとも生より生はないので、何らかの生食のトップの一つにはなっていようから。
近くの世界的観光地をチラ見して、世界の観光地をチラ見すれば「よく分かんねえけど俺も近くの世界的観光地が誇る方向性のおこぼれくらいには与っていて、それ×俺の癖を伸ばしまくれば、世界のトップの端くれくらいにはなんじゃね?」くらいのことは思えて当然だろう。
「東洋文明は女を軽蔑して、いない」
「それをどこかで諦めるんですよ」って
諦めるような奴は、始めから諦めるような奴に見えるけどね。
「あれもイヤだこれもイヤだ」の赤ちゃん精神と
「何があっても淡々と攻略する」ゲーマー精神さえあれば
意志的に続けようと頑張らなくても、
自然と本能的に続けちゃうと思うんだよ。
PS 鳥が鳥であることを諦めるか?
「最終的に皆スーパーマンになるんだから比較とか競争じゃなくてライフスタイルなんですよ」って
1、超人になっても超人を目指す
2、ユーモアセンスを持ったナイスガイになれるかどうか
3、なんだかんだでテイストは誤魔化せない
ってところですかね。
「薄気味悪いナルシスト」が多いことにもっと絶望しなくちゃいけねえ。
「ユートピアが来たらナルシズムに浸りたいだけ浸れるんだ!」って期待してんの?
ちなみに「ナルシシズム」ではなく「ナルシズム」で良い。
音が悪過ぎるだろ。
「エンターテインメント」ではなく「エンターテイメント」にしろ。
「ラッシュアワーに踏まれている安いプライド×ツイッター=プライスレスな俺の人生」
「俺はその呆れに、ちゃんと呆れ返して来たし」
「諸子百家って、どこのガールズコレクション?」
「粋な奴」を想像せよ。本当にそいつは粋かい?本当に粋ならばもっと癇癪を起こして、もっとぎゃあぎゃあ喚いているのではないだろうか。生きることは厳しくもある。それなのに粋がってる奴なんてただのアホなのでは?利口でなくとも良い。一片の思い遣りがあれば直ぐに十分に優しくなれるはずだ。そんな思い遣りがない人間が果たして粋だろうか。
止めるタイミングが平和的だね。
「本来すべての素材は複雑である、だなんて言わせねえぞ」ってか?
戦争とは何か。
何らかの定義を与えたとして、何のために戦争するのか。
クリティカルポイントはどこか。
それは刻一刻移り変わる。
先ず俺の能力を見誤っている。
敵を知り己を知れば百戦危うからずの鉄則から外れている。
こんな奴、適当なレッテル貼っときゃ良いんだよ?
いや、俺はVIPだろ。それも超絶的な。昔から。
そんな俺相手に「雑魚レッテル」を貼りたかったのは何故だろうか。
客観的評価によって自分の世界観、即ち自分の弱い心が傷つくことを怖れたのではないだろうか。
客観的評価は常に自分の世界観を打ち崩す。
そんな現実からのフィードバックを楽しめるかどうかだね。
それが嫌なら、君、戦争に向いてないよ。
「遅いんだったら人生楽しめて良いや」ってね。そんな歳になりましたよ。
キリスト教のぶったまげるところは「相対性を認めろ」と「お前は人生の主役でしかない」の
バーターを申し出て来ることころだ。
PS 西遊記
one of themでしかないからこそ、会う人皆先生と素直になれるんじゃないかな。
いや、意固地になることによって得られることだって幾らでもあると思うけど、
根本は柔らかくいたいよね。
【ドラクエ3】
ドラクエ5が好き、FF7が好き、真女神転生3が好き、今ならFPSが好きってのもそうだけど、一番影響を受けたゲームってさ、と言うよりむしろゲームの主人公ってさ、俺の世代なら「ドラクエ3のダンマリ勇者」かも知れないよね。
無個性。でも頼りになる。殴られても蹴られても死んでも諦めない。最後にはギガデインにベホマズン。誰よりも頼りになる。どんな個性も仲間にして、どんなモンスターも結局は彼に倒されていく。そんな勇者になれたら何でも出来そうだね。
人は皆勇者なのかも知れないが、そんな自分を片隅に追い遣ってしまう。勇者を片隅に追い遣ることによって得るものも多いんだろうけど、どうせならド真ん中に置いちゃえばエキサイティングな人生になりそうじゃない?
スケベな人間はいつまでも若い。神経が迸ってんだろうね。
オリジン弁当の量り売りで余計なタレを落として肉だけ取ったら安上がりで福笑い似の女性店員に軽蔑の眼差しを向けられたことがあるが俺はニヤッと店を出た。
要は「Xをつけろ(現実だもの)」「つけて尚活き活きと生きろ(人生だもの)」と言っているだけだ。
文系能力が無いから、他人の文系能力を計ることも出来ないんだよ。
なんて戦闘に向いてない奴が戦闘に参加していることだろう!
女が「バカ」という場合
単に「非常識」という意味であることが多い。
しかし常識が相対化されてくると「バカ」ばかりになり
女は弱ってくる。
俺が仏教を必要としない理由って、女に囲まれて生きて来たからだと思うと、今ふと思った。
死ぬのは嫌だけど戦争が好きですから
出来るだけそっちに向って行こうと思います。
PS PS
色々な生物がいるが「人間は動物である」なんて言ってくれるのは人間を於いて他にない。
人間は人間である。
チェスタトンも言っていたが、
仮に動物だとしたら「なんだかわからないが他の動物と圧倒的な差がある」動物だ。
音を立てて逃げるのだが、
実は逃げていると思っていない。
PS ガンガンいこうぜ
「誰のせい?」って
俺の御蔭にして頂けるなら光栄この上ないな。
だがそれは過大評価というものだろう。
相手のあること。
他者がいるのだ。
「そういう人がいるから悪いの」って
そういう人がいるところから始まるのが政治ってもんよ。
PS アダムとイブ
「じゃあなんで100メートル走ってあんなに人気があるんですか?」
ヒステリーというのはシニフィアンシニフィエを相対化すると当然ながら解体される。
ヒステリー以外も同じだろうけれど。
「欲望は現実によって触発されるが、それを妨げるのもまた現実であり、従って現実がイヤだ」などというのは余りにも当然であり、欲望触発装置としての役割を果たしたが最後、現実は我儘によって駆逐される運命にあるのだ。
気違いに刃物。
低IQに隠語。
とにかくカット。
流れゆく世界の中で主役はゴツゴツしている。
PS 反流
そこに反応しちゃうか。
それってお前の弱さだろ?
本質とは何か。
それが無くなったらそれで無くなるもの。
今俺が言ったことの本質ってそこだったの?
もしそう思うんだったら、俺としては「違うよ」と言うし、
俺からそう言われなくても分かれよ。
PS 強き人になれ
「ボケっとすること、どもること、レッテルを貼らないことを美徳とする私が戦争好きであること」
PS 英国
「純粋な戦闘行為とは何か」を考えることも含め、純粋な戦闘行為に可能な限り近付ける方が良い。
スポーツは余計なものが多過ぎる。上下関係だの人間関係だのは無用の長物。
FPS 戦闘以外立入禁止
クラウド前提で芸を磨く。古典は全部そう。現代だったらヒップホップが一気にそうなった。
シミソバカスまでの解体・そこからの集合を経ないものは全てダサく感じてしまう。
「すぐにキレるゲーム脳」
単に「ゲームやってねえ奴の判断力の悪さにキレてただけじゃねえの?」と言いたくなる。まあ「こうでこうでこうだからこうだ」みたいな計画性が身に付くってのもあるだろうね。悪いこと?現実を振り掛けて、いよいよブッ千切ろう。
PS Life goes on.
古典を装備できるって凄いことだし、
そんな自分を磨き抜いたら、いよいよ凄くなりそうだね。
PS メタルキングシリーズ
「クリームシチューに御飯はありか」って、俺はドリア的にして食べるよ。耐熱容器に少な目の御飯、クリームシチューをかけて、チーズを振ってレンジでチン。オーブンだとシチューが煮詰まっちゃうから。バーナーがある人はチンした後にチーズを焦がせばもっと美味しくなる。具はねえ、ムネ肉・ブロッコリーだけでもOK。タマネギを細目に切ったり、ニンジンを入れても良いかもね。ドリアにする場合は具の種類が少なくても俺は良いかな。
まあ、「物に習う」で「素材に学び技術に学ぶ」ということも大きな糧にはなるんですが、それも結局はその人の心次第ということですね。
『美味しんぼ』でも海原雄山が「料理は心だ。素材も技術も心映えに過ぎない。どれだけ素晴らしい素材を集め、どれだけ芸を尽くしたところで、そこに人を思う心がなければ、それは料理たりえないのだ。士郎、お前はまた素材自慢腕自慢に走った。その皿がお前の至らなさを物語っていよう」と言っていました。
【フライパン一つでレバーの照り焼き】
1 レバーを手で千切る。(包丁なんていらねえ!)
2 フライパンに入れる。
3 水を入れて火をつけて50℃洗い。2,3回繰り返しす。
4 焦げ付かないアルミホイルにレバーを移して、フライパンに乗せる。
5 酒をふって、煮る。(酒と付着した水分とレバーのダシで煮るのに十分な水分になる)
6 両面に火が通り色が変わったら、醤油・砂糖・(みりん)を入れて煮る。
7 煮詰めて、水分が飛んだら、勝手に焼き色がついている。
完成
フライパンは50℃洗いで汚れるけど、調理中は汚れない。したがって醤油が焦げ付く心配もない。
ちなみに「焦げ付かないフライパン」より「焦げ付かないアルミホイル」の方が良いよ。
劣化しないし、本当に全く焦げ付かない。驚異のつるるん力。
「世界をゲーム帝国の実験場にしよう」
「ミュージシャンってのは叫んで気持ち良くなりたいだけ。俺の気持ち良さを邪魔するな」で後は無責任だから、シムシティでもやらせた方が良い。と言うことで、ゲームを小学生からの必修科目にしようというお話でした。
和歌陶器近代絵画など自分のセンスが好き過ぎる。
受験勉強というクラシックを鏡にして、自分の得意を磨き抜いた。
FPSで自分のスタイルを抉り出した。
「得意と好きと親しみ」をスパイラルさせて圧倒的な自信を得た。
「女の子は寒がりです」
「あっそ」
PS 熱く我が道を往け
鏡の前に立つと逃げ出す奴がほとんどだ。
男の世界では「客観視できない奴」が軽蔑の対象。