鎌八幡から真田丸顕彰碑へやってきました。

 

真田丸があったとされる大阪明星学園の地に建つ顕彰碑。
 

 

碑の足元には豊臣家と真田家の家紋が!

 

大阪城唯一の弱点は南側。

その南側の防御力を上げるために作られたのが真田丸です。

 

真田丸は大阪城から独立した出城として作られ、

徳川軍からの攻撃を一手に引き受ける役割を果たしていました。

 

 

顕彰碑からすぐ北側は下り坂で、

しばらく行くと、上り坂になっています。

つまり、真田丸と大阪城は谷で切り離されていたようです。

 

以前、NHK歴史探偵で見たのですが、

大坂冬の陣の際、淀川の提を切って大阪城周辺を水浸しにし、

敵の信仰を防いだという作戦があったそうです。

 

洪水作戦では、真田丸背面である北側の谷にも水が溜まり、

敵から囲まれることを防いでいたとのことです。

 

これもNHK歴史探偵で見たのですが、

真田丸の絵図に3軒のお寺が描かれていて、

幸村はそのお寺を陣小屋の代わりに使用したそうです。

 

真田丸顕彰碑から後ろを振り返ると、

確かに3軒のお寺が!

 

実際に歩いてみると、地形がよく分かっておもしろい!

長男もTVや本で見た光景が目の前に広がっていることに

終始大興奮でしたニコルンルン

 

真田丸の地形を確認しながら、3軒のお寺のうちの一つ

心眼寺へ!

 

 

つづく

 

 

真田丸顕彰碑

大阪市天王寺区餌差町5-44

 

JR環状線 玉造駅から徒歩10分
地下鉄長堀鶴見緑地線 玉造駅から徒歩7分

 

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       ときどき信長・家康好き

 

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