「神武東征なんて、おとぎ話でしょ」
そのように学校で教わってきた人に、今日はっきりお伝えしています。
神武東征は、神話ではない。
地誌と古地理学に照らしても、記紀の記述は国家建設の記録として読める。
そう私は考えています。
学校や戦後の歴史学では、長いあいだこう言われてきました。
「東大阪は内陸だ。楯津に船で着岸できるわけがない。だから日本書紀も古事記も、神武東征の場面は嘘であり、捏造だ」と。
前提が、そもそも違っていたのです。
今からおよそ二千年から三千年前、大阪平野には生駒山麓のすぐ手前まで、河内湾という本物の海が広がっていました。内陸だから着けるはずがない、のではなく、当時そこは海だった。青雲の白肩津、のちの楯津への上陸は、当時の海岸線と重なります。
古地理学を知らない古代の人が、何百年も前の正確な海岸線を、後から都合よく描けるでしょうか。
私は、できないと思います。
船団を率いて河内湾を渡り、生駒の麓に着いた生々しい記録が、語り継がれてきた。そう受け止める方が、よほど自然です。
本日公開のチャンネルAJER「女性神主が語る國體論」第59回では、この一点を軸に話しています。
【衝撃】東大阪は昔「海」だった!古地理学が実証する神武東征の真実~戦後史観の嘘を完全粉砕!
東征は、いきなり大和へ殴り込みをかけた話ではありません。
吉備で製鉄の技術と水軍を整え、播磨の沿岸、伊保の港で潮を待ち、狭くて荒い明石海峡を抜け、それから河内湾へ入る。
記紀に残る行程は、現代の海の条件や地誌とも整合します。
力でねじ伏せたのではなく、土地の人の知と、海の理を受けながら進んだ道筋です。
「内陸なのに船で着けるわけがない。だから神話だ」
この一文で、建国の記録そのものをおとぎ話に落としてきた。
それが戦後史観のやり方でした。
しかし海だった場所に着いた、という記述が地理と一致するなら、切り捨てる理由はなくなります。
記紀を、最初から疑って読むのではなく、まず我が国最古の正史としてまっすぐ受け止める。そのうえで、現地と科学の知見に照らす。
今回の回は、そのための一本です。
動画は👇です。
前半を無料でご覧いただけます。
高評価、コメント、拡散で応援をいただければ幸いです。
東征の続きを、これからも國體の観点からお話して参りますので引き続き宜しくお願い申し上げます。