熊野本宮大社の元宮・撮影禁止の超絶パワースポット「大斎原」熊野本宮大社の元の境内であった熊野川と音無川の中州に当たる神域・大斎原(おおゆのはら)。明治22年(1889年)の洪水で社殿が流出してしまいました。この地はそれ以前に大斎原に鎮座していた本宮。その後、大斎原のお宮のうちの「上四社」は現在の熊野本宮大社に移され、「中四社」、「下四社」、「境内摂社・末社」は、大斎原のほこらで奉斎する形になりました。本来、「クマ」は「奥まった処」「隠れたる処」または「カミ」を指し、「クマノ」とは「神々の住まえる処」の意味を表す言葉でした。熊野信仰は、太古、熊野速玉大社摂社・現在の神倉神社の鎮座する神倉山に熊野の神々が降臨された事に始まります。その後、崇神天皇の御代、家津美御子大神(ケツミミコ)、所謂、素戔嗚尊が降臨された聖蹟が、ここ大斎原。我が国の建国と重要な役割を担った熊野三山をおいて、我が国の國體は語れません。