築山御前のお墓参り

 

あまり知られていないのだが

築山御前の「首塚」は市内に2カ所ある

(胴体の方は、静岡の方のお寺にある)

 

そのときの岡崎城城主石川数正が

最初に埋葬したのが

祐伝寺

市役所の正面にあるお寺である

小さいながらも、隅々にまで手入れが行き届いた

とても綺麗なお寺である

 

もうひとつは、

八柱神社

こちらは、もともとあった神社に

築山御前がご神体だった神社を合祀したもの

信康もご神体として合祀されている

氏子さんの話によれば

首はこちらにあるということになるが、

ここの神社そのものも遷座しているため

首そのものはないのでは、とのこと

そのかわりに、首塚の目印とした石は

いまも首塚の前に建っている

現在見られるきれいな五輪塔は、

有志の方々が建てられたもの

とのこと

とすると、

新しい五輪塔をお参りするより、

その石の方をお参りした方が、

あっているのではと思う

 

 

 

 

祐伝寺は

お寺に着いたとたん、反応が凄く

一緒にいったメンバー全員、鳥肌

八柱神社より先にここに埋葬され、

昔は岡崎城内だったためだろうか

恨みつらみというよりは

悲しみと、憂いと、思慕の念が強い

本堂へ上がらせていただき、

お参りをさせてもらったら

本堂があまりにも綺麗で、落ち着いていて

いい雰囲気だったので

こちらの気持ちまで癒されてしまった

一緒に行った人も、

全く、おなじことをいわれていた

 

 

 

2年前に、

最初に八柱神社へいったときは

頭の中に、白い生首が髪に絡まったまま

ごろりと転がって、怨みを感じ、恐ろしく思ったが

それは、現実にそうだったということを

見せているのではなく、自分の感情を投影、

つまり、さらに増幅される事で、

存在をアピールしていたのではないかと思う

 

調べれば調べるほど

築山御前のまわりには、

大奥でみるような、嫉妬や、かけひきや、

ねたみや、怨みが渦巻いていて

絶世の美女であったという、

築山御前らしいエピソードばかりが、残っているように思う