毎月のんちゃんの月命日が近づくと、いつもは心の奥底になおしているママの気持ちが荒れる。
そして、5月の命日付近は狂った龍の如く噴火する。

『たられば』や『ありもしない未来』や『のんちゃんを亡くした日の再現』で、頭の中がぐちゃぐちゃになって、気を付けないと涙が出てくる。

悲しみでしか、のんちゃんがいた嬉しくて悲しい日々を認識できないのが、余計にこたえる。

もう、悲しい思いはしたくない。
でも、悲しみさえなくなったら、のんちゃんを忘れてしまいそうで。
それも悲しすぎる。

3年前ののんちゃんを流産していく過程が、私の意思に反して、頭の中で映画のように流れ続ける。

GWに予定を詰め込んだのは、その映像をみないようにするため。
楽しいことをしていれば、見えない。

でも、休み明け。
通勤途中から仕事中も映像がだだ流れ。
トイレに立っては、涙が出ないように上を向き、トイレの天井にある換気扇を睨み付ける。
歯をぐっと食い縛り、頑張ろと呟き、席に戻り、サイボーグのように次々に仕事を片付ける。
その最中も流れる映像。

明日はもっと辛い。
明後日はもっともっと辛い。

なんで私は、我が子を辛い思いをしないと感じることができないんだろう。
もっと、痛みを昇華させて違う気持ちで思い出せれば良いのに。

そう思うけど。
方法はとんと見当もつかず。

だから。
方法がみつかる日まで。

パンドラの箱があっていいし、開くときがあってもいい。
のんちゃんが痛みでもいい。


だって、のんちゃんは私の大切な本当の子なんだもん。

誰も知らないけど、産まれてもないけど。
我が子なんだもん。