「その3 松山千春、フォークソングを語る。~フォーク音楽祭と竹田さんとの出逢い~」S8935-3

 

松山千春 DATA BESE 総合TOP PAGE NF   

アーティスト別 LIVE DATA BESE 総合TOP PAGE NF 


◇更新履歴

V1.0:2022.01.24 初稿 

 

◼️その3 松山千春、フォークソングを語る。~フォーク音楽祭と竹田さんとの出逢い~

2022.1.23放送「松山千春ON THE RADIO」

その2からの続きです。

 

ま、これらの曲を聴きながらですね、ま、松山少年は中学、そして高校な、バスケット一生懸命やりながら、ギターでな、加川良の曲やなんかをやりながら、オリジナル曲も作り始めるんだ。 

 

あのぅ、これSTVラジオを聴いてらっしゃる皆さんにだけお知らせなんですけどね。1月25日、ま、私のデビューした記念の日でありますが、「STVラジオ開局60周年特別番組 『足寄のスーパースター松山千春45年の時代をこえて』な、これを明後日、(1月25日)夜の9時から10時、ま、流れますんで。

 

是非ともどんなカタチで俺がね、フォークシンガーになっていったのかをじっくりと聴いていただければ、有難いと思います。

 

ま、自分は高校卒業して、まず車の免許が欲しかったんだよな。俺、12月16日だろ?18歳になるのが遅いもんな。ほいで、俺のおじちゃんが北見でな、クラブ「メイゾンマヤ」とかね、「照勝」とかいう料理屋をやってたんだ。 

 

そこに行ってな、それこそクラブのボーイやったり、そこでストリップショーがあるから照明な。あとレコードを回したり、色んな事やってたな。そんなときでも欠かさずギターを枕元に置いて、ま、一日仕事が終わって、ま、夜中の1時か2時か。帰って来てはボロ~ンと弾いてたんだ。 

 

そんなことしてるうちに1975年。これまだ私19歳なんですけど、「全国フォーク音楽祭」というのに出ることになりました。 まずは帯広ね。ま、我々、足寄に住む人間にとっては一番近い大きな町、帯広。 で、フォーク音楽祭の一次予選がありました。 

 

そのときに運命の人、竹田健二さんと出会いました。俺は「旅立ち」を歌いました。そうすると竹田さんが「ギターがせこいね」。 「ちょっと待ってください。俺はギターの品評会に来たんじゃないっすよ。俺の歌はどうだったんですか?」。 

 

そんなところから、竹田さんとの、ま因縁と言えば因縁。俺はそれで落ちたと思った。そしたら次のステップ、北海道大会、な。いわゆる北海道大会をやって、そこから2組かな、全国大会、行けるんだよ。 

 

「おお、こりゃいいな」みたいな感じでね。ま、可笑しかったな、あんときはね。 かまやつさん。 総合司会をやられててね、かまやつひろしさんな。石川鷹彦さんな。 あとゲストがダウン・タウン・ブギウギ・バンド(DOWN TOWN BOOGIE WOOGIE BAND)、

風、

シグナル、

チューリップ(TULIP) 。  

 

そんななかで、アマチュアの松山千春は頑張ったんですけどね。竹田さんと逢ったときに「旅立ち」歌って、ギターのやりとりがあって、「じゃあ松山君。コピー曲。いわゆる他の人の曲を歌ってくれないか?」と言われて、俺は当時好きだったかぐや姫・伊勢正三の「22才の別れ」を歌いました。 

 

「22才の別れ」O.A  

 

---CM03--- 

その4に続きます。

 

 

 

-------

 

 

 

  

 

 

◆インデックス 松山千春、フォークソングを語る。

 


フォローしてね…
N現在、以下の検索ランキングにエントリーしています。
よかったら、アクセスして頂けると嬉しいです。

一日一回、ライキングポイントが加算されます。
よろしくお願いいたします。

  
  にほんブログ村     
    

アーティスト・グループ(音楽) ブログランキングへ
---------------------
YUMENO BLOG ~愛のうた:愛した季節の薫り  From the 1960s to 2020s Music Diary notebook~ 夢野旅人