「◇その1  松山千春、故・松山明人さん。 実弟について語る。 全文その1」S8434-1

 

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V1.0:2021.09.27 初稿

 

◼️その1 松山千春、故・松山明人さん。 実弟について語る。 全文その1

2021.9.26放送「松山千春 ON THE RADIO」でのコメント

 

さて、先回な、ま、先週の放送中ですね、9月19日、私のう~ん実の弟、松山明人が川崎の病院で息をひきとりました。

ま、癌を患っていたので、最後は相当痛い、辛い思いをしたんでしょうけど。な、ちょうど先週放送やってて、う~ん亡くなったのは9時20分らしいよ。俺はもうスタジオでべらべら喋ってたからな、全然知らなかったんだけど。

終わってからな、そういう話しを聞かされて。ああ、そうか。う~ん明人、よっぽど辛かったんだろうな、みたいなね。
 
あいつは、ま、俺より四つ下で、だから生まれが昭和34年・1959年12月1日か。だから61だよな。12月来れば62になったんだけどな。

これでよ、父さん、母さん、姉ちゃん、弟な、5人家族だったのに、俺だけな、残ることになったんだけどさ。

ま、あのぅ先週も、そしてまた母さんが1月に亡くなってるからな。そんときも話したと思うけど、何かあったときに、「おい、こんなことがあったぞ」とかね、「どう思う?」とかね、う~ん、そういうことを言える親や姉弟が、ま、みんな亡くなってしまった。

 

な、とくに明人はね、ま、なんせ姉ちゃんが絵里子、俺が千春。で、明人だからな。一番、あれじゃないなかな、父さんも母さんも明人に期待をしてたんじゃないかな。そりゃもう露骨にわかります。

なんせな、俺はもうガキんときからよ、喧嘩やったりな、う~ん、あとバイトに次ぐバイトをやってたりよ。

たまに警察に呼ばれたりな。こんなことやってたからさ、父さんも母さんも俺のこと馬鹿だと思ってたもんな。ね、当然、周りの連中も俺のこと馬鹿だと思ってたもんな。

で、明人は、ま、大人しいしな。で、一番マメに、コツコツタイプ。ま、だからうちの中では一番まともな奴だな、みたいなね、感じなんだ。姉弟三人な、ま、姉ちゃんは、ま、俺と五つ違いだったからな。姉ちゃん高校、俺中学、明人が小学みたいな感じでな。

で、お年玉とか色々あるべや。う~ん、俺とか絵里子はぱっと、こう使っちゃうタイプなんだよな。それにひきかえ、この明人はさ、誰に似たんだろうね、コツコツ貯めるタイプなんだよ。本当にうちの中でも、一番真面目にコツコツと。

それを姉の絵里子がですね、「明人、お姉ちゃんに貸しなさい。な、そしたらちゃんと利息付けて返してあげるから」って言ってな、あいつ一回も返したことなかったな。ま、そうやって考えれば、そんな感じの姉弟だったんだよな。だからこそ、父さん、母さんは、明人には期待してたんだな。

ただ、小学、中学、高校と、なにせ俺が先にな、学校荒らして行ってるから、後から入って来る明人にとってはいい迷惑だったと思うよ、な。
学校の先生たちは、「松山。お前、弟さん、いるんだな」「はい、います。」「あれか、バスケットか?」「いやいや、うちのはスポーツ全然駄目ですから」「そんなことないだろう、お前。お前の弟さんだもん、お前。隠してんだろう、お前。野球部にでも入れたいのか?」とか言ってな、「いえ違います。うちの弟は全然、あのぅ、スポーツ系無理ですって」てっ言って、卒業してな、学校の先生と町中でバッタリ会った時にな、「千春、お前の言ってることがよく分かった。本当だったんだな」ってね、結局ブラスバンドか、ブラスバンドで、ま、活躍してたと言えば活躍してたわな、あいつはあいつなりにな。

それで、高校出るときに、そんとき、俺がもうデビューしてな、ささやかながら金が入るようになってきた訳だよ。
で、もうそれこそ家族会議じゃないけどよ、「明人、父さんも母さんも俺も絵里子も、大学って行けなかったんだよ。せめてよ、うちの一家でお前ぐらいよ、大学って行ってみてくれないか」な。

そしたら、明人は明人で、やっぱりあれは、ま、反抗期と言うか、う~ん、俺に対するね、ま、色々なプレッシャーもあったんだろうけど。「大学行ってもいいけど、兄ちゃんの世話にはなりたくないんだ。」なんか言っちゃってさ、で結局、教育大学(釧路)に入って。

で、明人のことだから、これ学校の先生なんだろうな、みたいなね。う~ん、ま、教師の免許取ってな、学校の先生をやるんだろうとなと思ったら、ある日、帰ってきてさ、「兄ちゃん、俺、学校の先生、出来ないわ」「なしたのよ、お前」。教育実習でな、中学校行ったらしい、どっかの。そこに、そこでだな、生徒にいじめられたらしい。それが原因で、教育実習の段階で、な、もうこれ、教師は無理だわって話しになってな。

「まぁ、いいよ。しょうがねぇよ。お前の性格がな、優しいからな、そうなっちゃうからな。あのぅ、好きなこと、大学卒業したら好きなこと、何でもやってかまわないからな。明人、な、うちの家族で大学って行ったの、お前だけだから。う~ん、そりゃお前、兄ちゃん、誇りに思ってるからな。頑張れよ」と言った弟が、61にして、癌で亡くなりました。

松山千春「時のいたずら」

「時のいたずら」O.A

----CM01----

 

その2に続きます。

 

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