「◎その2 松山千春、故・服部克久さんを語る~『電話』から2008年『思ひ』~」S7075

 

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V1.0:2020.06.20 初稿

■その2 松山千春、故・服部克久さんを語る~「電話」から2008年「思ひ」~

 

2020.6.14 放送 松山千春のON THE RADIO

 
 
 
 
 
 

---「電話」O.A ---

--- CM ---

「電話」という曲を聴いていただいて。

ま、これ服部さんがアレンジしてくれた曲なんだけど。

初めてお会いしてね。ま、曲は事前に手渡してあって。

 

レコーディングスタジオで、初めて俺も聴くわけだよな。

ま、当然、どんな歌かというとね。

♪眠れぬ夜はあの店で酒を飲み♪

こうやって歌ってたら、一番終わってから

♪デイン デイン デイン♪

エレキがツインで入ってくるんだな。

 

俺はビックリしたよ、たまげたよ。

これ、静かに盛り上がってくる曲で一番終わったら、いきなり、この間奏か。

ま、正直、驚いたよな。

 

ところが、今な。

ま、あれから三十数年経って聴いてみても、ああ、このフレーズだよな。

一番が終わってデイン デイン デインって、エレキが入って来たときに情景が浮かんでくる。

別れてしまった男と女。

男がぶつぶつ言ってるんだよな。

 

だから、ああいう間奏とかな、ホントに印象に残るイントロとか、ま、服部さんは本当にあれだろうな。

音楽、音を楽しむ。

あらゆるギターであったり、ピアノであったり、

音が出るもの、何でも好きでだよな。

そういう方だったんだろうな。

 

ま、俺がよく茶化してな。

服部さん、お父さんが国民栄誉賞だからね、プレッシャーもでかかったでしょう。

そういう話をするとね。

いやお前、服部家はお前、岐阜で提灯をはってたんだよ。

それが親父が音楽やって、こうなったんだから。

元々は提灯作りの職人なんだから。

俺は、やっぱり親父さんのプレッシャーはあったと思うよ。

服部良一というな。

けど、見事にそれをはねのけて服部克久、な。

ま、どこの世界でも二世、三世、色々いるけど初代をまかす位、頑張る二世はなかなかいないもんだけどな。

その点、服部克久、やりましたね。

尚更、残念でならないですね。

 

その後、しばらくして「思ひ」という曲をね、服部さんで是非アレンジでやってみたい。

この情景が出てくるような、そういう曲に関しては、是非とも服部さんのアレンジで。

夏目、おまえじゃ駄目だ(笑い)。

 

服部さんはな。

なんといっても第二次世界大戦で終戦。

北方領土な、また樺太に残された日本人、離ればなれになった、そんな人たちのことを考えて作った「思ひ」という曲。

服部さんは、こんなふうにアレンジしてくれました。

松山千春「思ひ」。

 

---「思ひ」松山千春 O.A ---

~その3に続きます。~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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