「松山千春『24時間』に思うこと~松山千春 全作品解説192~」S2810

 

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◇更新履歴

V1.0:2015.01.29 初稿

V1.1:2019.08.16 最新エディタにて記事を作成、旧記事と差し替えおよび歌詞の掲載、所有CD画像を掲載

V1.2:2020.01.24 是正

V1.3:2023.10.12 オフィシャル動画・音源のリンク及び追記など

 

■「24時間」編曲者:土方隆行
1994年11月21日リリースのアルバム『24時間』の10曲目
(CD10曲目/全11曲)

 


 

◆所有CD画像


◆レコーディングミュージシャン:後日、追記
01. ドラム:
02. ギター(AG):
03. ギター(EG):
04. ベース:
05. キーボード:
06. パーカッション:
07. サックス:
08. ストリングス:

 

◆2023.10.12 夢野旅人

10月5日に29年ぶりの埼玉県・三郷市文化会館で2023年秋のツアーがスタート

した直後の10月8日放送「松山千春ON THE RADIO」。

冒頭から三郷公演の話題となり、以下のように話した。

---

その29年前の三郷でのコンサートで、何故かしらな、過去のコンサート記録っていうのは.とってあるからな。

見たら「24時間」という曲を2回歌ってるんだよ。本編とアンコールで、な。

なんで「24時間」を、な。

そしたら「24時間」という曲を、出した後のコンサートだったんだな。俺も、びっくりしたもん。

「24時間」って、そんなお前、2回も歌う曲じゃないんだから、な。

 ---

と、言って「24時間」がかかりました。

 

それを聴いていて、自分は逆にびっくりしました。

忘れっちゃったか・・・

 

「24時間」は、1994年、千春がアマチュアからデビューあの頃、親友の山岡篤さんたちと、愉しく過ごしていた時代を描いた歌。ゆえにアルバムタイトルでもあり、29年前、リリース時の秋のツアーで本編ラストに選曲された。

 

そのツアーに出る、初日である三郷公演の直前に、篤さんが自死した。

そのことを、アンコールの時に話し、そして2回目となる「24時間」を歌って終演しました。

それが、29年前に三郷で2回歌った経緯です。


◆2015.1.29 夢野旅人

今朝、ふと過った。

この曲を、あの日、一曲目に持ってきたのは、そういうことか。

 

1996年春。

デビュー20周年記念ツアーの初日、よこすか。

この日の、一曲目は「24時間」だった。

 

その後、「長い夜」と入れ替わり、「大空と大地の中で」に定着するが、アーティストが伝えようとしたイメージのヒントが、色濃く残るのは初日である。

ステージを重ね、細かな修正や曲の入れ替えなどで、完成度が向上しようとも、伝える側のイメージの原形は、初日にある。

 

この曲を一曲目に置いたのは、アマチュア時代の想いが詰まっている、情景がみえる曲でスタートさせたかったからだろう。易々たる推測であるが、当時は考えようともしなかった。


松山千春の初期の作品は足寄で作られたものが多いのだろう。

そんな中で、札幌の篤さんの部屋で作られた歌が「ためらい」 など、いくつかある。

 

篤さんとは、ご存じのとおり、著書「足寄より」にも語られている故・山岡篤さんのことである。ラジオ(千春のひとりうた)出演のため、週に一度、足寄から札幌に通っていたアマチュア時代。

前日に泊まっていたのが、彼の部屋だった。

 

彼とは気が合い、一緒に遊び歩き、

千春の人気が過熱して、ホテル暮らしとなるまで彼の部屋に泊めてもらっていたという。

 

彼に、彼女ができたときに、

二人のために書いたのが、「雪化粧」 である。

~24時間 生きていた 

気の合う奴等と 楽しく愉快に

24時間 生きていた 

心も体も 傷つきながら~

 

「24時間」は、そんな篤さんや周囲の仲間達と、愉しく過ごしていた時代を描いた歌。

 

この曲を書き上げ、1994年秋のツアーがスタートする直前。千春は、篤さんの訃報を知る。

 

1996年秋。

「俺は曲を作っている姿を誰にも見せない。 

スタッフであっても、俺が曲作りをし始めたら部屋を出ていく。 

でも篤だけには見せられた。

残念ながら他界した。 

 

あいつのためなら、なんでもした。 

もしも、あいつが金に困って、『千春、都合してくれよ』と言われたら、

どんなことをしても俺は用意した(要約)」と語り、「雪化粧」を歌った。

 

「あんただ~れ」の中ちゃんの日記には、

篤さんが他界して、20年後の2014年5月3日。

娘さんの結婚式に、千春が来賓代表で挨拶したと記されている。

 

~戻る事など出来るはずない 

いっそ後ろはふり返らずに 

けれどもあの日が 頭を離れない~

 

今、改めて、

この曲を確かめると、

アマチュア時代の1976年から数えて、39年という時間の流れを切と感じるのです。

 

◆歌詞及びオフシャル動画・音源

路地をうらつく野良犬の様な 

手さぐりだけの毎日だった 
もちろんあてなど なかった 

それなのに 

あの頃がとても自分らしく 

自慢の瞳も輝いてた 
懐しさじゃなく 不思議と 

そう思う 

24時間 生きていた 
なりふりかまわず結果を恐れず 
24時間 生きていた 
失うものなど 何にもないと 

誰でもいくつもの思い出を 

心の奥にしまい込んでる 
愛とか夢とか 微笑 
涙も 
戻る事など出来るはずない 

いっそ後ろはふり返らずに 
けれどもあの日が9頭を離れない 

24時間 
生きていた 
気の合う奴等と 楽しく愉快に 
24時間 生きていた 
心も体も 傷つきながら 

24時間 生きていた 
気の合う奴等と 楽しく愉快に 
24時間 生きていた 
心も体も 傷つきながら

 

◆松山千春全作品に思うこと~松山千春全作品解説4A~1992-1999

 

 

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