「ハウンドドッグの最前列はないが、大友康平に思うこと。」S6303

 

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◇更新履歴
V1.0:2019.8.12 初稿

 

■ハウンドドッグの最前列はないが、大友康平に思うこと。

自分のコンサート履歴の中で5番目に多く行っているのにハウンドドッグの最前列はなかったです。

ニッポン放送の公開録音ライブとゲスト出演で2列目、ソロコンサートで3列目(1991年大宮ソニックシティ)が最短距離。

どうしてかなと考えたら、彼らの場合、一般発売でいい席が入っていないので並んでチケットを買った記憶がない。

ほとんどがイベンターの会員予約か電話予約だったせいだろう。

そんなことはともかく、その3列目で聴いた「グローブ」というバラード。

あの歌声は心に染みた、名演として瞳に焼き付いている。

あのときの大友康平は格好良かった。

 

-以下、過去の記事を引用、修正、加筆-

名実ともに日本のライブバンドの君臨していた甲斐バンドが解散したのが1986年。

 

甲斐バンドと入れ替わるようにライブバンドの名を欲しいままにしたのがハウンドドッグだった。

閑古鳥が鳴いていた会場のときから、スタンドがほとんど埋まらなかった土砂降りの1985年の西武球場、「ff (フォルティシモ)」から彼らの快進撃が始まった。

渋谷公会堂5days、日本武道館5days、10days、15daysやでかい会場から地方の会場までくまなく年間最多で170本のライブを決行。

当時、無謀ともいえるチャレンジ、トライをファンが後押しした。

1990年には、「夢の島」と題して福岡から仙台まで10年続いた夏のイベントには開演前のさまざまなイベントにメンバーも参加するなど手作り感があった。

そんな彼らのステージが単純に好きだった。

 

そして彼らは、ストーンズのように半永久的に永く活動していくものだと思っていた。

それが2006年を最後に空中分解。

バンドのフロントである大友康平に、ずば抜けた作曲能力が無かったことが、1980年のメジャーデビューから2006年までの活動できた一番の要因だったかも知れない。


詩は書けても、曲が書けないと日本のロックシーンではアーティスト性は薄れる。
逆に言えば、曲が書けるバンドのフロントは小田和正にせよ、甲斐よしひろ、矢沢永吉にせよバンドを解散しても音楽性は大きく変わることはない。 変わったとしても本人の進化、成長と思える。 それよりなにより、大好きだった、信じたバンドを失ったうえに、コンポーザーまで失くすといったファンの最悪のダメージは避けられる。

 

そんなことは大友康平自身が、充分理解していると思っていたし、そんなことよりも何よりHOUND DOG、バンドを一番愛しているのは康平自身だと思っていた。

 

2005年、大友と所属事務所マザーエンタープライズとの間で意見対立が発生。

康平は個人事務所を設立し、4月に独立。 マザー側は、7月9日の日本武道館公演をもってHOUND DOGに関する一切の業務を終了する事を発表した。

7月9日の日本武道館。 そのステージで康平は、多くを語らなかった。 ただ解散を示唆したマザーの事務所の言い分に反して、解散はしないことを武道館のステージで明言した。

しかし、1984-2005年のバンド黄金期のメンバー6人・康平・八島順一 (ギター)・蓑輪単志 (キーボード)・鮫島秀樹(ベース)・橋本章司(ドラムス)・西山毅(ギター)が揃ってプレイした最後のステージとなる。

 

8月、康平は公式サイトにて、「バンド内に将来に対する考え方の違いが生まれた」として蓑輪、鮫島を除いた4名で活動を続けることを表明。 箕輪、鮫島は脱退を否定したもののその後のライブは、両者を除いた4名とサポートメンバーで開催される。

 

2006年6月18日、大友は「ハウンドドッグを守るため」自分ひとりで活動を続けると公式サイトにて表明。

HOUND DOG名義のライブが、康平以外すべてサポートメンバーで大阪野外音楽堂、日本武道館で開催される。昔の6人に戻ることを求める署名活動を行うファンの姿も見られるなか決行された。

そこでも、康平は集まった客に多くを語らなかった。

 

その後、康平の活動はステージではなく、テレビ、役者とバラエティーに傾く。

やたらバラエティー番組に出演して、日本で初めて東京ドームのステージに立っただの、日本武道館、大阪城ホール、横浜アリーナ。 年間何本、コンサートをやっただのどうのこうのと話している彼に失望した。

 

そんなことやってる場合じゃないだろうと。

裁判。 係争中だし、言えないことも多々あっただろうし、活動に制限もあったかも知れない。

個人事務所の維持、経済的な問題や、前事務所は、尾崎豊に、「馬車馬のように働かせられた」「自分の意志とは関係なく自社のレコード会社でアルバムを作らされた」と告白されるようなとこだったから、外部からでは分からない、明かすことのできない真実もあるのかも知れない。

 

だけど、そんなこそ小さなライブハウスでいいから、全国隈なく歌い旅する時ではないのか。

負け犬。栄光の挫折。

藤沢映子や佐々木徹といったライターたちが作り上げた虚像もあったと思う。

しかし負け犬から、栄光の挫折を繰り返しながら、ライブで培われたシンガーではないのか。

ライブで、熱狂的なファンを獲得してきたボーカリストではないのか。

50歳を迎えて、今こそ歌う時ではないのか。

 

それなのになぜそんなところで、過去の栄光を披露しているの。

恐妻家ネタなどどうでもいい。

ただ奥さんが放ったという、「役者など興味はない。ロックンローラーのあんたにしか興味がない」の一言は、言い得ている。

歌ってくれよ、歌えよ、康平。

そう当時思っていた。

 

現在では春先に4本程度のコンサートのみ。

経済的の理由はあるにせよ、閑古鳥が鳴いてももっと全国回ってくれよ。

今でもそう思うが、しかしながら康平のヴォーカルは今でも錆付いちゃいない。

今でも日本屈指のロックボーカリスト、シンガーだと思う。

だからこそ、残念でならないのです。

 

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