「松山千春 『父へ~覚えていますか~(正式名称不詳)』に思うこと~未発表作品解説5~」S2908
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◇更新履歴
V1.0:2015.4.20 初稿
V1.1:2021.4.29 是正
■ 「父へ~覚えていますか~(正式名称不詳)」編曲者:--
1985年春のツアー「虹のかなた」で、ほぼレギュラーで弾き語りで披露。
◆2015.4.20 夢野旅人
松山千春の父・明(享年80歳)さんが「とかち新聞」の発行をやめたのが1984年下半期。
翌85年。春のツアーが近づき始めたころ。
千春の予定を何度も訊ねる父親に気付いたという(千春が28歳、明さんが70歳頃)。
~何度も同じこと話す
あなたに少し驚いただけ~
と、始まる「父へ」。
1985年春。コンサートツアー「虹のかなた」。
認知症を患い始めた父親のことにふれ弾き語りで歌われている(ツアーの初日は歌われていない。また自分は、タイトルを千春の口から聞いていない)。
覚えていますかと、ストレートに父親に問いかける歌で、弟と帯広に出かけたエピソードの歌詞に綴られていた。
だから、自分は仮題として「覚えていますか」とメモに残した。
----帯広のエピソード(要約)----
幼い頃、親父と弟の三人で帯広に出かけた。
家族で、出かけることなんてなかったから、嬉しかった。
急に雨が降ってきた。
普通なら、喫茶店とかで雨をしのげばいいものの、田舎もんだからな。
デパートに入った。
親父は酒のつまみでよくニンニクを食べていた。
すると女性店員らが「いやね」と怪訝そうな顔をしていた。
そのとき。
こいつら、いつか見てろよと思った。
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「父へ」の歌詞には、
覚えていますか。
あなたに連れられみんなで帯広に行って、
買い物やパチンコ、食堂で食事したこと。
と、歌詞に綴られていた。
2004年5月27日 福井フェニックスプラザ。
アンコールラスト。
それまでずっと「悲しい時には」だったが、
その日、初めて「あなたが僕を捜す時」に替わった。
その日は、父親のことなどは話さなかったが、
後日、北陸のホテルで、幼い頃に帯広に行った日のことを、夢で見たという。
それゆえの選曲だったのだろう。
「父へ」を書いた翌年1986年に発表された「あなたが僕を捜す時」。
どちらも病を患った父親を歌った歌であり、
感傷的で、シリアスな内容だが、「父へ」ほどのストーレートさはない。
あの頃。
世間にリリースできるポピュラリティーのボーダーラインは、「あなたが僕を捜す時」までの表現、カラーまでなのだろうと思った。
それと、85年のツアーでのMCでは、(千春の男の美学として、)生き恥をさらしてまで生きてほしくない。
といったニュアンスを含んでいたが、
~生きている そのだけで 人はみな 幸せさ(あなたが僕を捜す時)~
のフレーズをきいたとき。
そうは言いつつも、生きていてほしい。
千春の胸のうちの葛藤を見た気がした。
うろ覚えの「父へ」を口ずさむと、
帯広でのエピソードや、千春の戸惑い、葛藤。
いえ、それ以上に、
自分の、年老いて旅立っていった親の姿が瞳に映るのです。
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