もうblogを初めて6ヶ月以上経つけど、納得いく文章が書けないや。

それでも覗いてくれて、ありがとうです。

三度目の過去の文章です。

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『砂の上、残照、大いなる愛よ夢よ、限りある命、夢の旅人、私の明日には、生きがい、君を忘れない、あなたが僕を捜す時、君に、大空と大地の中で、今を生きたい、愛を奏で、自分らしく、一輪の花、愛ははかなく、俺の人生、幸せ、人と生まれて、人間らしく、旅路、感じたくて、平凡、愛は・・・、感謝、人生、逢いたい、青春、青春Ⅱ』


人は生まれた瞬間から、終わりのある限られたページをめくりはじめる。


永遠に続くページはない。


人は、その定めを、いつしか悟るから人生は、はかなく、切なく、けれど愛おしい。


そしてその人生の途中で愛や夢に出会う。


人が、詩をメロディを描き、歌を唄い歌うということは全て『生きている』人間の証なのだろう。


そして、生きている思いや叫び、熱情が強く大きい程、言霊となり人の心に響く。


キャッチーなフレーズや芸術的な美しいメロディ、楽曲を生み出すための創作活動には無頓着なのに松山千春の言霊の強さは既存の歌手をはるかに凌駕している。


それは自分自身を一度も疑う事なく信じ続ける事の出来た才能の他に、同じ時代に生きる人間達への尊敬の念を忘れずに歌い続けて来たからだろう。


そして音楽馬鹿にならずに投資、経営にも目を奪われる事なく人との関わりを大切にして来たからだ。


それこそ政治家、世間一般では反社会的と称される人、IT起業家、酪農家、家族、友人、分け隔てなく。


松山千春をあまり知らない人に分かり易く説明するならば、国民が求める政治家になくてならないもの、だけど今の政治家にないもの。


それが松山千春にある。


それは声にならない声を聞き取る事の出来る人間性と人間愛だ。


人と分け隔てのある関わりをしていたら到底たどりつく事は出来ないのだろう。


そして限られたページが残り少ない事も悟っている。


そんな千春が人生を歌うのだから右にでるものはいない。


冒頭の曲は『生きる、生きて、生きたい』と歌詞にある歌だ。


松山千春は『人』と『生』の刹那を歌う。


もしも人間が再生して生まれ変われるのであれば松山千春の歌に言霊が宿る事はないのだろう。


以上

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column ~ 愛した季節の薫り ~ 夢野旅人