昨日の夜9時ごろから、ウランバートル市全体の停電が2時間程あった。

停電はたまにあるのだが、大体は部分的に10分から15分からの間なので、

昨日のはちょっとびっくり。


最近では夜10時くらいまで明るいため、部屋の電気をつけていなくて、最初は気がつかなかった。

しかし、お茶でも飲もうかと湯沸かし器をつけるが、つかない・・・

湯沸かし器の故障だと思い、コンロでお湯をわかそうとするが、コンロもつかない。

(こっちのコンロはガスではなく電気)

そこで、初めてもしや・・・

電気をつけようとしてもつかない。

停電に気がついた。


しかし、待っても待っても電気がつかない。

他の隊員からのメールで、ウランバートル市全体が停電だと知り、

外を見ると、全ての家の電気がついていない。

見えるのは車のライトだけ。

おそらく昨日5月も中旬なのに吹雪いたせいではないかと。



今週から、部屋の暖房も入らなくなり、室内はかなり寒くなった。

加えて、電気がつかないから、お茶も飲めない、パソコンも使えない。

懐中電灯で本を読もうと試みるが、暗すぎてだめだった。

使えるのは携帯電話だけとあって、日本の年明けのときのように

携帯のメールも込み合ってて送りにくくなっていた。


うーん、何をするか。

することが見当たらない。

寒いし、暗いし、布団にくるまって、ぼーっとするだけだった。

そのうちに、なぜか孤独感を覚え、どうしていいかわからなかった。


どうやら、話を聞くと昨日は日本人もモンゴル人も早く寝たらしい。

ほんとうに、電気がないと何もできないのだ。

全てを電気に頼っていることを改めて実感。


しかし、頻繁に停電があるくせに、モンゴル人に節電という言葉はないように思う。

使ってない教室の電気がつけっぱなしになっているのもよく見かける。

今年はチンギスハーン800周年ということで、

モンゴル側は例年より沢山の観光客を見込んでいるらしいが、

このような状態では観光客の受け入れ態勢は万全ではないのではないだろうか。

そして、今年はビザをなくしてまで、観光客を呼び込もうとしているのはいいが、

飛行機の増便などは考えていないらしく、やる気があるんだかないんだか。


最近では暖かくなってきたせいか、お湯の出も悪くなって、

毎日シャワーを浴びることも難しくなってきた。

部屋は寒いし、温まることもできないし、なんだか、冬より生活しにくいんじゃ・・・




前回の更新から1ヶ月以上経っていました。

私の中で第一期ホームシックがやってきていました。

その波も去り、自分の活動について見つめられるようになってきた今ですが、

今月で授業も終わり、来月からは3ヶ月の夏休みになってしまいます・・・

夏休みの予定は・・・ まだわかりません。


ということで、今日の出来事について!


今日は学生と一緒に帰ってきた。

私はデパートの1階のスーパーで買い物してから帰るというと、その学生も一緒に行くと言う。

そして、一緒に入ろうとしたとき、

その学生が

「こんにちは!」 と言うので見ると日本人観光客が。


つられて、私もこんにちは!と言うと、偶然にもその方は

面識はないが、JICAの駒ヶ根訓練所で講師も務めていらっしゃる方だった。

そこで少し立ち話。それはいいのだが、

最近は暖かくなってきたおかげで、ここモンゴルでも日本人観光客を目にするようになってきた。

その事を私の学生は嬉しそうに話す。

そう、日本語を勉強していながら、普段接することができる日本人は私一人。

どうやら、他の日本人とも話してみたいようだ。

だから、よく日本人観光客を見かけると話しかけてみたりもするらしい。


私は学生達が日本人と話したいと感じていることがとても嬉しい。

そういう気持ちというのは、外国語を勉強する時の上達にかなり影響すると思うし、

日本人として、日本人と話したい!と思ってくれることは本当に嬉しく思う。


最近私は自分の活動について満足をしていなかった。

学生の日本語は全然上達しない。

私がここにいる必要があるのか。

ネイティブがいたところで、何もかわらないんじゃないか。

そんなことを感じながら、学校に行きたくない、日本に帰りたい、そんな気持ちでいっぱいだった。


だけど、日本人と話したい。学生にその気持ちがあるだけでも、

私がここにいる意味も少しはあるのだろうか、そう感じた。






今日は教会へ行ってみた。

私の学生の一人が行っているという所へ連れて行ってもらったのである。

そこの教会の牧師は日本人 で、

他にも日本人の先生がいる。


モンゴルの主とする宗教はチベット仏教であるが、

モンゴルには100くらいの教会があるらしい。


私の家から、タクシーで10分くらいの場所に教会はあった。

入り口には黄色いペンキで、

モンゴル語で教会という意味の単語や十字架の絵が書かれてはいたものの、

教会という存在感はなく、普通のアパートのような建物だった。

おそらく、私だったらそこが、教会であると気がつかずに通り過ぎてしまいそうな。

そのアパートの二部屋をぶち抜いて作ったのが、

礼拝堂だった。

礼拝堂というよりは、ほんとに普通の部屋だ。

私が子供の頃行っていた教会も、学校の礼拝堂も

もっと、礼拝堂らしい雰囲気を持っていたので、

何だか不思議な感じだった。

十字架すらかかっていないただの部屋に、

人が集まってきて座る。

来ていたのは100人には満たないくらいの人数だっただろうか。

モンゴル語で賛美歌を歌い、モンゴル語の聖書を読み、

言語は違えども、知っている賛美歌を歌ったり、

安心させられた。

牧師が日本人であるにもかかわらず、全てがモンゴル語であるため、

説教なんかは全ては理解できなかった。

なんとなく、こんな事を言っているのだろうかと推測しつつ・・・


私自身はクリスチャンというわけではないのだが、

小学校から大学まで16年間キリスト教の学校に通っていたため、

宗教というと、仏教よりもキリスト教のほうに親しみを感じる。

クリスチャンじゃなくても、今まで何度となく聖書の言葉に励まされた事だってある。


しかし、礼拝が終わってから、日本人の先生とお話をしたのであるが、

福音について説明され、科学を全否定され、

あなたも信じてくださいと

何度となく言われ、

何か新手の宗教勧誘のような印象を受けてしまい、逆にそのお話が

私に不信感を抱かせ、

熱心なクリスチャンしか通ってはいけないと言われているようで、

残念ながら、毎週通おうという気持ちにはなれなかった。




昨日はお休みの日だった。

3時まで予定もないし、家で昼寝をしていたところ・・・

1時前くらいに、一本の電話。

カウンターパートからだった。


2時から学長先生と会議がありますから 学校に来てください。 とのこと。


またいきなり・・・ と思いつつも学校に行ってみると、

カウンターパートが私の教室の前で待っていた。

そして、 これにサインしてください。と言われた。

それは4年生の卒業試験。

私自身は自分でも試験作りを手伝いたいと思っていたし、

しかも、カウンターパートの試験はいつも 妥当だとは思えない内容であり、

試験問題に間違いも多いことは知っていたので、 作り終わった時点で私が確認するべきだと思っていた。


しかし、それは2時の会議で提出するらしく、

確認して、訂正する時間もなく サインさせられてしまった。


確かに、試験を作りについて、 カウンターパートには何も伝えていなかった 私が悪い。

しかし、私には何も言わずに 事が進んでいると、

何だか私はネイティブの教師として ただこの2年間日本語を教えてくれさえしてればいい、

と言われているようで、悲しかったし、

自分が役に立たないと言われているような気さえした。


カウンターパートは40歳代、 教師経験だって、私より断然長くて、

ここの文化を考えると私としても非常に意見を言いづらい。


だから、もっとカウンターパートと話をする時間を 設け、

信頼関係を築くことが必要だとは思っていたが、

今のところ自分の授業だけでも精一杯で 学生についての相談はしていたものの、

その事に対しては何の努力をしていないまま、 今に至ってしまった。

今学期が終わるまであと2ヶ月。

それまでに、カウンターパートの授業を見学したり、 少しでも話合える時間をつくろう!

先週、私の学生の一人が住んでいる孤児院へ行く機会があった。

うちの近くのデパートで学生と待ち合わせをして、バスに乗る。

乗ること20分位だろうか。

いつの間にかウランバートルのかなり端に来ていた。

その辺りは、勿論道も舗装されておらず、バスに乗っていると体が宙に浮いてしまうぐらいガタガタ。

そして、中心部のようなアパートやレストラン、色々なお店もなく、

ボロボロの家と白いゲルが立ち並んでいるだけだった。

もう、すぐ近くには山が聳え立ち、

ここは本当にウランバートルなのかと思わせた。

そして、そんな場所の一角に孤児院は建っていた。

しかし、門を入ると青く塗られ、その上にプーさんやピカチュウの絵が描かれた建物があった。

壁に描かれた絵のおかげで、そんな場所にありながら、なんだか明るい雰囲気に感じられた。

後で聞いたことには、その絵はそこの孤児院の子供が描いたのだそうだ。

中に入ってみると、キッチンがあり、大きなテレビがあった。

そして屋根裏のような所にはベッドがいくつも並んでいた。


そこの孤児院には27人の子供が住んでいる。

大体が兄弟も一緒で、皆親がいないと証明された子供達なのだそうだ。

しかし、そんな事を感じさせない明るい子供達だった。

夏になると、日本人も含め、色々な外国人がやってくるという事で

全く人見知りもせず、ひとなつっこい子たちであった。

一緒に折り紙をしたり、音楽をかけて踊ったり、絵を描いたり、日本語を教えたり、

とても充実した時間だった。

帰るときには帰っちゃダメ!とか、また来てね!と言って貰い、

一緒にいた時間を楽しんでもらえたようで、非常に嬉しかった。


夏になると、外国人が訪問すると書いたが、

イギリスの高校生なんかは毎年来て1週間ほど泊まっていくのだそうだ。

それを聞いて、私も高校生の時にそんな経験をしたかったな、なんて思った。

私は日本でも孤児院を訪れたこともなかったし、

今回が初めてだったのだが、今までの孤児院に対するイメージとは違った。

子供達も非常に元気だし、親がいない事を欠点であると思っている様子もなく、

夢に向かってすごく積極的に生きているような印象を受けた。

もちろん、ほとんどの子が友達などに孤児院に住んでいることを隠しているということで、

心中に色々と抱えているのだろうとは思うが。

しかし、異国の地に住んでいるために、沢山のストレスを抱えた自分をすごく癒してくれた

彼らに感謝したい。

そして、又時間がある時に遊びに行こうと考えている。




今日は私の誕生日だった。

まさか、24回目の誕生日をモンゴルで迎えようとは以前は想像もしなかった。


日本から彼氏が忙しい中モンゴルまでお祝いに来てくれた。

モンゴルにいる同期・先輩・学生・同僚からも

お祝いのメールが届いた。

もちろん日本にいる友人からも。

そして、今や違う国で頑張っている同期からも、

メールや手紙をもらった。


歳をとること自体は嬉しくはないが、

色々な人に祝福をいただき、

なんだかすごく励まされた。

24歳も頑張ろうという気になった。

24歳は一生で一度。

どんな1年になるのだろうか。


とにかくお祝いの言葉をくれたみんなに

ありがとうの気持ちでいっぱいだ。

昨日は3年生の学生とディスコへ行ってきた。

こっちではクラブと言わずディスコと言う。

私の学生4人の他に

うちの学科の英語選択の学生も一緒だった。

自分が教えていない学生とは普段話す機会もないし

一緒に来てくれて嬉しかった。


実は3年生は一番できの悪いクラス。

遅刻・欠席は非常に多いし

授業も非常にやりにくい。


このクラスには私の同僚も頭を悩ませているようだ。

そう。どうしたらいいものかとずっと考えていた。

そんな時、ディスコへのお誘い。

二つ返事でOKした。


授業をどうこうの前に彼らと仲良くなりたかった。

そうなることで授業の雰囲気もよくなればと。


私は日本でクラブなど、特に行かないのだが、

外国では話は別。

こういう空間は、言葉がうまく話せなくても、一緒に楽しく過ごせるのだ。

イギリスに行っていたときも、1日おきぐらいに行っていたものだった。

でも、そのおかげで、友達も増えた。


それに、日本だと、ある一定のなんとなく同じような人間しか集まらないように思う。

しかし、イギリスでも、ここモンゴルでも普通の若者が集まるし、

私は嫌いじゃない。



行ってからは、とにかくお酒を飲んで、踊って、休んで、踊って、飲んで・・・

でも自分のストレス解消にもなったし、

彼らの授業とは違った姿もわかって、とにかく楽しかった。

私は教師経験も人生経験も大したことない。

若さだけがとりえ・・・

でも、私の大学の先生達は大体年配の方なので

その若さを生かして、学生の視点というものも忘れないでいたい。



先日、学生の家でツォイワンというモンゴル料理の作り方を習ってきた。


今まで学生の家に行ったことがなかったので、少し興味深々で行った。

そこは、一般的なアパートだった。

部屋が二つの他にキッチン・バス・トイレ。


へー、けっこういい所だと思っていたが、

話を聞いてみれば、そこには彼女の他に5人住んでいるらしい。


あの広さに6人・・・

私は同じ部屋数で一人暮らし・・・・

私の生徒は私の家の寝室の半分くらいの広さの部屋に姉と寝ているらしい。


今や日本では少子化もあって、子どもでさえ自分だけの部屋を持っているのではないだろうか。


しかし、ここでは私の一人暮らしにうらやましがるというより

一人で暮らしていて、さみしいでしょ、怖いでしょと同情される。


不思議だ。

おそらくモンゴル人は仕切りのないゲル(パオ)に家族が一緒に住んでいた民族だ。

今もその暮らしをしている人も沢山いるし、

もしかしたら、モンゴル人に

「プライバシーの侵害」

なんて言葉はないのかもしれない。


さてさて、話は変わるが、

この訪問はツォイワンの作り方を習うためだった。

ツォイワンとは焼きうどんのようなモンゴル料理。

もちろん麺から手作りだ。


この料理教室のために4年生の学生3人が集まってくれたのであるが、

彼女達の小麦粉を練る姿は

まるで職人のようだった・・・


モンゴル人は幼い頃から料理の手伝いをするらしい。

一方の私は・・・

親が家にあまりいなかったにもかかわらず

自炊よりも外食を選んでいたため、

料理の腕は全く自慢できない。


彼女達に

「先生もっと強く!」

「こうやってやるといいよ!」


などど色々な注意をうけつつ、料理に参加。

モンゴル料理は味付けもかなりシンプルなため、

麺からつくったにもかかわらず

あっという間に完成。


せっかく習ったのであるが、おそらくモンゴルにいる間には自分で作らないんではないだろうか。

ここにいる間、できればモンゴル料理にあまり遭いたくないのだ・・・


日本に戻ったときに、モンゴルを懐かしんでこの料理をつくれることを願いつつ・・・





明日3月3日は日本ではひな祭りである。

ということで、私は今週、私の受け持つ全てのクラスに

ひな祭りについての紹介を行った。


こんなのがあるんだよというくらいにとどめたいので、

授業の始めにさらっと説明しただけであるが。


そして、試しに、ひなあられを学生達に食べさせてみた。

その感想は


「おもしろい!」


そして二言目にはみんな口をそろえて


「チップスみたい!」


あられとチップスって似ているか??

私の考えもしなかった答えにびっくりした。


すごいなあ。

全然違うこと感じるんだとしみじみ思った。



モンゴルには女の子の日はないようだが、

3月8日に女の人の日があるようだ。

男の人はお母さんやおばあさんやお姉さん、妹、彼女なんかに

花やプレゼントを贈るそう。


今日は私が教える大学の付属の高校の授業があった。

みんな15,6歳といったところ。

日本の同年代の子よりも、若く見える。

高校の授業を受け持つのは本当は気が進まなかったのであるが、

みんな何だか無邪気でかわいい。


さて、その授業中、学生と話していると、

ある1人の女の子が4年前に、1週間日本でホームステイをしたことがあるということが発覚。

それを聞いて、ふとこの子の家はお金持ちなんだろうか、

という思いが頭によぎる。

しかし、その後彼女は自分は孤児院に住んでいると

こそっと私に言った。

そして、

これはみんなは知りません。ひみつです。

と付け加えた。


孤児院には夏になると、訪問する日本人がいるようだ。

誰かは知らないが、日本人モデルも来たそうだ。


おそらく、

日本人がお金を負担して、そのホームステイが実現したのだと思われる。


今まで、学生のバックグラウンドについては

深く考えたことがなかった。

みんな携帯電話を持ち、おしゃれなんかもしているし、

日本の学生と同じ感覚でいた。


だから、孤児院に住んでいると聞いて

正直ちょっとショックをうけた。

彼女はその事実を私に笑顔で言った。

しかし、みんなには秘密にしているという事を考えると

彼女もつらいところがあるのだろう。


実は今日の授業で父、母、など家族の名称についてを教えようと考えていた。

そしてその後に自分の家族について一人一人発表してもらう予定だった。

しかし、その話を聞いてしまい、

いろいろと考えたが

結局今日はそれを教えずじまいになってしまった。


授業が終わってから、

これからもこの項目を教えるべきか触れないべきか悩んでしまった。

もちろん、彼女一人に教えているわけではないため、

教えるべきだと思うが、

どんな配慮をするべきか。



しかし、孤児院で暮らしてしているその彼女は

クラス一まじめで、日本語もクラス一できる。

そんな彼女をこれから応援したいと思う。