今日は、少し、不思議な日だった。
まずはじめに、新しく知り合ったお母さんと、友だちになった。
それも、偶然に、偶然が重なって、そうなった。
そのお母さんは、こちらに引越してきて、
まだひと月も経たない、とのことである。
さらに、話を聞いてみたら、そのお母さんは、
私の妹が住んでいる県から、越してきたということで、
その上、妹の子どもと、同じ月齢くらいの、
赤ちゃんを抱いているものだから、
気まぐれに、誕生日を訊いてみたら、
何と、妹の子と、同じ日に生まれていた。
それで、奇縁を感じ、そのまま友だちになってしまった。
そのお母さんは、一緒に話しているうちに、
どんどん、ほっとした表情になってきた。
何しろ、引っ越してひと月にもならない、見知らぬ土地で、
知人は一人もおらず、昼間は子どもと二人っきり、
スーパーをひとつふたつ覚えたくらいで、
小児科さえ、どこにあるのか、さだかに知らない、
という状況だったらしい。
まるで、昨年の夏の、私である。
私も、今の土地に越してきて、まだ10ヶ月余りなのだ。
「本当に、心細くて、ときどき何だか涙が出そうな感じで」
と言う、お母さんの話を聞いて、
「いつでも、連絡してください。できることは何でもしますから」
と、私は、頷いた。
私がこう言ったときは、本当に、できることは何でもする気である。
困っている人がいると、走って行って、助けたくなるたちだ。
時に、これが裏目に出る。
さて、最初に、「不思議な日」と書いたが、
今日の出来事は、これで終わりではなかった。
千春と一緒に出かけた児童センターで、
あるお友だちのお母さんと、たまたま会い、
「あら、こんにちは」となる。
しかし、このお母さんと私は、いったいどうなってるんだというくらい、
行く先々で顔を合わせ、1日に2度もばったり会うことが、
週に3度重なっても、もう驚かない、という、特殊な人なので、
今日も、「またですね」と挨拶して、一緒に、遊び始める。
その直後、私は、その児童センターで、知り合いのお母さんを見つけ、
「あら、こんにちは」
と、声をかけた。
その日偶然会った、二人目のお母さんだ。
1歳のお子さんがいる。
そして、部屋を移って、千春とままごとセットで遊んでいたら、
「あら、こんにちは」
と、声をかけられる。
顔を上げれば、先ほどとはまた別の、知り合いのお母さんである。
今日、三人目だ。こんなこともあるんだな、と思う。
さて、お昼の時間になったので、千春と帰ることにする。
と、児童センターの正門を出ようとしたところで、
「あら、こんにちは」
と、またしても、声をかけられる。
今度は、2歳の子がいる、知り合いの方である。
驚いた。今日は、4人もの知り合いと、ばったり会ったのだ。
ところが、家に帰って、今度は午後に、
千春を予防接種に連れて行こうと、自転車で走っていたら、
「あら、こんにちは、千春ちゃん」
と、とどめに5人目の、知り合いのお母さんが、
正面から、自転車でやってきたのである。
これには、つくづく、驚いた。
前述のように、私は、この土地に住んで、10ヶ月だ。
まだまだ、知り合いは、限られている。
今日は、5人の知り合いに、ばったり会ったと書いたが、
言い換えれば、いま、付き合いのあるお母さんの、
ほとんど全員と、一日のうちに、偶然出会った、
と言っても、大げさではないくらいなのである。
もちろん、こんなことは、この一年のうちで、
まったく初めてのことだ。
引越して日が浅く、心細くてたまらない、
去年の自分を思い出させるようなお母さんと、
知り合って、友だちになった日に、
私が、こちらに来てから出会った、ママ友たちに、
全員集合のように会った、というのは、
何だか、象徴的な出来事のように思えた。
この土地に来て、10ヶ月。
私は、自分でも気づかぬうちに、
ここで、少し、根を下ろしているのである。
食料品や衣料品を買うには、だいたいどこへ行けばいいか。
子どもの喜ぶ、遊び場所が、どことどこにあるか。
バッタはあっち、鯉のいる池はこっち、電車を見たいならそっち。
いろんなことを、いつの間にか、のみこんでいる。
何よりも、お互いに、子どもの話ができる、
お付き合いのあるお母さんたちがいる。
今日、会った、5人のお母さんたちの顔を思い浮かべてみる。
みんな、とてもいい方たちだ。
私は、引っ越してきてから、
あまり積極的には、していなかったように思うが、
それでも、こうして、いい方たちと知り合えた。
だから多分、まちがった道は進んでいないのだろう。
そして、こんな偶然が重なった、不思議な日の晩。
今日知り合った、一年前の私みたいな、あのお母さんが、
早く、今の私のように、のんびりと気楽に毎日を過ごせるように、
私にできる手助けをしてあげよう、と、考える。