東日本大震災のあった年
私は乳がん判明
私は頑固で(自分なりの持論があり)
絶対手術をしたくなかった 
でも母(←その時はまだ生きていた)に心配され怒られたので(^_^;)
手術することにした

かといって
ごっそりとられるのは
絶対いやだったので
病院を変え
侵襲性の低い外科手術を行った
放射線治療もした

でも
その後の抗がん剤と
ホルモン治療は
やらないことに決めた
いろいろ文献で調べて
考え抜いた結果で
自分の意志で治療を拒否した

医者からは
「後悔しますよ」と言われた
私は後悔するわけないと
思った

明るく
笑って過ごし
やりたいことをするのが
何より
健康になれると信じて

その成果があり
いまだ再発もなく元気である
(実はこれも持論で
その後一切検査をしてない
(かなりの持論頑固ガールである)あ、ガールって年じゃないわねwww)
そう
誰が見ても
がんサバイバーには見えない
めたんこ元気である

私が乳がんだったなんて
私自身
『嘘よね、幻かな?
そんな手術したっけな?』
くらいに感じている


息子は当時
まだ小学生だった

私が手術室に運ばれる前に
そっと
手を差し出してくれて
握手をしてくれた

息子自ら
差し出して握ってくれた
あの優しさ
あの握手を忘れられない

きっと内心
『母さん死んじゃうの?』って心配だったと思う

のちのち息子に
よく言われた言葉

「母さんが死んだら、僕も死ぬ」

これは
最近まで私に言ってくれた言葉
去年、おととしも言ってくれてた言葉
だから私は何が何でも死なないと決めていた

私は
その言葉にいつも救われていた

なのに

私はなんで
言ってあげなかったんだろう
同じ言葉を

「あなたが死んだら、母さんも死ぬ」

そう言えていたらよかった
そう言っておけばよかった
そしたら
違う道が生まれたかもしれないと
考えてしまう

そして
事後は
まだ母さん死んでないのに
なんでいっちゃうの
と私は泣いた

もしかして
息子の中で
いつもそばにいる私が
遠くに行ってしまった感覚に
なってしまってたのかな

心のそばに
いてあげなきゃいけないのに
私はあなたは大人だからと
心のどこかで
突き放してしまったのかな
ほんとは大好きなのに

ごめんね
許してね

それでも最後の一ヶ月は
息子から
沢山、寄り添ってくれたよね
私は息子の決意を知らずに
平然と過ごしてしまったけど
いつものハイタッチにぎにぎは
ほんとに嬉しかったよ

あの優しい手
あなたの肉厚の
あまり日焼けしてない色白の手

大好きだよ