ここのブロ友さんが教えてくれました百一日供養を行ってる茶湯寺へ、行ってまいりました。
そこは伊勢原にある大山の麓の自然溢れる静かなお寺様。
直ぐ側には清流が流れていて、魂が落ち着くような幽寂閑雅な場所にあります。

お経を唱えるやいなや涙が溢れ出てきました。涅槃像を見ては涙が溢れ、息子の名前や年齢、戒名を読み上げられては涙し、息子がいないことにふと気づき涙し、最後は成仏しても私のそばにずっといてねと繰り返し念じて涙を流し、終始、涙涙の供養でした。

それでも心は優しく穏やかになれたように感じました。
石段で家族が来るのを故人が待っていて、お参りに来ると、行きか帰りに故人に似た人に会えたり、声が聞こえたりすると言われています。

行きは必死に似た人を探したりしてました。そういう欲はだめですね。全く似た人もいないし何も感じなかったのです。
しかし
供養が終わり、靴をはいて、涙をこっそり拭きながら、お寺のお庭を見てみようと歩き出した時です。
何かの気配を感じました。
お寺さんの庭の前にある山肌を私は眺めました。 
でも何もいないので、少し歩き出そうとした時、やはり気になってふと見上げると、一頭の鹿がいたのです。
しかも鳴き声をあげてくれました。
おしりが白くてかわいい鹿でした。
ぴょんと跳ねるように右から左へ。そして一瞬にして木陰に隠れてしまいました。
あ、息子!と思いました。

同行者は鹿の鳴き声は聴いたそうですが、見ることはできなかったそうです。私はなぜか、きちんとその場所を確実に見ることが出来たのです。

息子が見させてくれたのかな、それとも息子なんじゃないかな、と思いました。

ありがとう、息子よありがとう。

そして、百一日供養をできる茶湯寺を教えてくださったブロ友さんにも感謝の気持でいっぱいです。ありがとうございました。 

調べた所「鹿は神の遣い」らしいです。
鹿さん、息子の霊を乗せて現れてくれたのかなあ。つまりはあの鹿さんは息子だったよねー。ありがとう、姿を見せてくれて。