横浜の街を作った高島嘉右衛門。

その指南が、佐賀藩の田中善右衛門です。

はじめは、田中半右衛門と名乗っていました。


田中善右衛門の活躍を知ることが出来るは、

1922年に出版された早稲田清話 大隈老侯座談集である。


それによると、田中善右衛門は、あの井伊直弼大老とサシで天領の天草を佐賀藩に統治させてくれるよう交渉したネゴシエーターだったので、江戸では、知らない人はいないくらい有名人だったと書いてあります。


江戸では、当時、超有名な田中善右衛門。


佐賀県では、ほとんど知られていないし、

県や市の文化課の歴史のプロも知らない

無名の人なのである。


さて、その田中善右衛門。

佐賀の街のどの辺りに屋敷を構えてただろうか。

それがわかる江戸時代の地図を紹介します。



今の地図で、あれば、宇都宮薬局あたり

だと思います。


藩主鍋島直正から、大抜擢されて、

のし上がってきた、田中善右衛門。

長崎警備のために、福岡藩と共同で、

砲台を作る交渉に失敗したら、江戸に

人事移動!そこでも、幕府との交渉で、

力を発揮します。


このような方が居たから、明治になっても、

佐賀が活躍出来る土壌あるのです。


横浜の街を作った高島嘉右衛門は、

田中善右衛門の指南を受けて、大活躍をしますが、その田中善右衛門も、鍋島直正に徴用されないと活躍出来ません。

横浜の歴史は、佐賀がルーツ。

横浜の人には、信じられないかもしれませんが、

ホント‼️の事です。


人の縁というものは、不思議なものです。