私の願いは『人は強い存在である』ということが世の中の常識
となることだ。しかしこのことについて確たる裏付けがあると
いうことではない。ただ“人は弱い”という世の風潮には同意
したくない。

奇跡と呼ばれる現象は実は当たり前のことなのではないか、本
来の強さを発揮しただけの事であるのに、無知故に奇跡と表現

して特別扱いしているのでのではないかと考えることも出来る。

人の創造性は強力だ。近代文明は人の創造性の賜物である。し
かしこの創造性はこのような方向にだけ働くのだろうか?もし
真逆な方向にも働くとすればどうだろう?
“人は弱く”なったのは、このような思いが信念じみて世の隅
々まで蔓延してしまった結果ではないだろうか。

事はそれほど単純ではないと思っている。人類が誕生する以前
から自然界は存在し、我々は周囲や因縁の影響を受けるからで
ある。過去は過去で様々な事情があったかもしれない。だから
『今はどうなのか』という観点が大事だと思う。今は絶好の時
期を迎えているように思う。世の中はカオスになってきて縛り
が緩くなっている。カオスの後に新が生まれるとすれば、今の
うちに望む世界の為の種を撒いておこう。
人が強ければどのような世の中になるだろうか。中村天風先生
は『いつの日か医者や警察が無くなる日が来るのではなかろう
か』と語ったという。そういう世の到来を私は希望する。

しかし病からは解放されたとしてもいつかは訪れる死について
無知であるならば、それだけではあまり役立つとは思われない。
ここで必要なのは死に対する知識である。

この世はあの世の一部だと私は考えている。つまりこの世も霊
界の中にある。肉体とは霊体が纏う宇宙服のようなもので、こ
れにより霊界からは遮断された格好だ。宇宙服を通して見聞き
し、活動するのでかなり制限がかかる。これはこれで学ぶとい
う観点に立てば好都合なのだ。負荷というものは鍛えるという
点で非常に有効である。人間は霊界の合宿所で鍛えられている
とも考えられる。そして普通合宿というのは世の中から遮断さ
れているものだ。

本来我々が住むところは霊界である。合宿生活で短期間に多く
を学び、そこを卒業した暁は霊界という社会で活躍するのであ
る。死とは合宿生活からの卒業を意味し、卒業した後が本番で
ある。以上が私の考える死に対する意見である。

生命が我が内に在るという自覚を持つと良いように思う。