県民栄誉賞のほかに名誉県民と言うのがあります。


第1号は山中貞則先生(以後 敬称略)です。


2003年に山中が最初の沖縄名誉県民になって以降、他に誰もいません。


山中先生(以下 全敬称略)の略歴を見ると、(『』はwikipediaより引用)


『初代沖縄開発庁長官、防衛庁長官。


1953年鹿児島3区から自民公認で初当選、岸内閣で大蔵政務次官、山中は財政、税制に関する勉強に励んだ。


官僚以上に税に精通した政策通となる。


1970年第3次佐藤内閣で総理府総務長官として沖縄返還に尽力した。


1979年自民税制調査会長を務める。


以来税制のドンと呼ばれるようになる。


1990年消費税導入を推し進めたことが祟り、28票差で落選。


エピソードがおもしろい。


1年生の議員の頃は名を上げるため先輩議員を殴った。


当時吉田茂首相に会釈したが、無視された為「こら待て吉田、何だその態度は!」と乱闘になろうとした。


防衛庁長官時代は74式戦車の名前を山中式戦車にしてくれと装備局に頼むも却下された。


中曽根派に属し、ボスの中曽根康弘より年少かつ当選回数も少ないのに死ぬまで中曽根君と呼んでいた。


佐野眞一のルポタージュ「怪人礼賛、忘れられた日本人2」に沖縄と山中の関係を取り上げ、ニクソンショック直後に


沖縄だけ1ドル⇔360円で交換。


首里城の復元工事を進める。


選挙区でもない沖縄の為に683本の特例法を通した。


その背景には、鹿児島出身者として薩摩藩の琉球支配への贖罪意識があったと言う。』


第2次世界大戦の沖縄戦の被害に言及する政治家や、沖縄の地上戦で多数の民間人が死傷したことに言及する


代議士はたくさんいるが、1609年の薩摩藩の琉球侵攻にまで遡ってその贖罪意識から、沖縄県の復興を語る


政治家はそうはいません。


そういう意味では、山中は特異な存在だし、立派な政治家だと考えます。


正に名誉県民1号(唯一の名誉県民)にふさわしいと思います。


又、『米軍が沖縄に上陸していなければ、志布志湾に上陸し、鹿児島がひどい目に遭っていた。』と沖縄戦の犠牲に


報いる意味もあった。


消費税導入時には、党税制調査会で「今日から消費税の議論をする。全員落選の覚悟でしろ。」と述べた。


山中は28票差で落選した。』


落選した当時は、山中は選挙区を沖縄にした方が良いと沖縄県経済界、政界から多数の声があがった。


このように山中は古武士然とした政治家で、まるで今年大河の主人公、西郷さんを思わせる人物である。


すなわち「敬天愛人」を理想の中心にすえ、「子孫に美田を残さず」とばかりに選挙地盤を残さなかったそうです。


さて安室に話を戻し、安室は県民栄誉賞よりも、沖縄県への貢献は先に述べたように多大の物があり、


今は山中のみに与えられている「名誉県民」の称号の方が安室にはふさわしいのではないでしょうか。


県民栄誉賞はゴルフの宮里藍、興南高校野球部、沖尚高校野球部と、スポーツ関係が多いと思います。


一方、名誉県民は今のところ山中だけなのでスポーツ以外のエンターテインメント、学術、政治家などに贈呈して


棲み分けるのに使えばいいと思います。


両雄並び立たず、沖縄県のヒーロー、安室奈美恵と宮里藍、二人を一つの賞でまとめるのではなく


それぞれ別の賞で表彰するのが良いと思います。


沖縄県民栄誉賞(目的)


広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与える顕著な功績があったものに対して、その栄誉をたたえることを


目的とする。


この目的は宮里藍に最適です。


沖縄名誉県民(目的)


社会の発展に卓越した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者に対し、沖縄県名誉県民の称号を贈り、


その栄誉をたたえることを目的とする。


この目的は安室奈美恵に最適だと思います。