6月17日からは高校野球沖縄県予選大会が始まります。


沖縄タイムスの記事によると


『野球で県外に進学する生徒が増えている。


県外に出てプレーする現在の高校1年生は44人いることがわかった。


強肩や瞬発力など「身体能力が高い」と言われる沖縄の選手に県外私学が注目し、特待生などでとっている。』


特に中学から好投手が流出しているらしいです。


沖縄の高校野球の歴史は、栽監督以前、以後に分かれると思います。


栽監督は、(もう故人ではあるが、敬意を込めて監督と呼称します。)豊見城、沖縄水産を率いて甲子園大会に


春夏合計17回出場、戦績は22勝17敗、準優勝2回、主な教え子として、沖縄尚学選抜優勝監督の金城孝夫、


元阪急の石嶺和彦、元巨人軍投手の赤嶺賢勇、元中日の上原晃、元巨人軍の大野倫、ソフトバンクの新垣渚など


多数の選手をプロ野球に送り出しました。


今でこそ、沖縄は野球王国、野球所と思われていますが、栽監督以前は野球弱小県でした。


戦前は甲子園出場は1回もありませんでした。


沖縄はレベルが低く、九州の強豪校には敵わなかったそうです。


1958年、夏の大会、首里高が沖縄勢として初めて、甲子園の土を踏んで、甲子園の大観衆から大歓声で迎えられたが、


敦賀高校に0-3で敗れました。


68年夏には、興南高校がベスト4入りし、沖縄中を熱狂させたのです。


沖縄野球が本土勢に通用する事を見せたのです。


70年になるといよいよ栽監督の登場です。


それまで沖縄勢が出場すると判官びいき、もしくは同情で大声援を送っていた甲子園の観衆も特別扱いしなくなったのです。


つまり、沖縄勢が本当に野球が強くなったのです。


その後栽監督は沖縄水産高校に移り、90年、91年夏、2年連続準優勝に輝きました。


栽監督にはぜひ、沖縄県民栄誉賞を送るべきです。


そして99年、春の大会、沖縄尚学高校が初めて甲子園で優勝したのです。


(優勝監督は栽監督の教え子の金城孝夫監督です。エースは現沖尚監督の比嘉公也氏でした。)


沖尚が甲子園で優勝するまで、沖縄では「甲子園優勝が先か、沖縄選出の総理大臣が先か」と言われたものです。


甲子園の優勝はそれ程の快挙でした。


2010年には、我喜屋監督率いる興南高校が春夏連覇という偉業を成し遂げたのです。


聞く所によると、今年沖尚高校に有望なピッチャーがいるそうです。


今年も楽しみです。