最良の教師の資質とは何だろう。
たぶん、触媒の役割をする先生だろう。
ある物質が触媒に触れたとたん、まったく別の物質に変化する。
生徒に決定的な変化をうながす先生である。
もちろんそういう先生はごく少数だ。
私自身、今まで出会った事はない。
しかし想像は出来る。
たとえば、幕末の思想家、吉田松陰だ。
松陰は、松下村塾というごく小さな空間から、後の明治維新を遂行した志士達を輩出した。
長州藩尊皇攘夷の中心人物、久坂玄端。
奇兵隊の高杉晋作。
初代内閣総理大臣 伊藤博文。
9代内閣総理大臣 山縣有朋。
維新の英傑木戸孝允(桂小五郎)等、松下村塾出身者は明治維新、断行の中心人物となった。
サリバン先生も彼女の熱意と愛情と信念で、ヘレンを劇的に変えた。
サリバン先生も松陰先生もそうそう居る先生ではない。
生涯に出会えない人が大半であろう。
良き先生のもう一つのヒントが「勝 小吉」の言葉の中にある。
「勝小吉」は、ご存知の通り「勝 海舟」の父である。
小吉の著した「夢酔独言」の中に「師」(先生)の選び方について、考えを述べている。
「小吉」自身は放蕩無頼の人で、「夢酔独言」の書き出しは「俺のようにはなるなよ」と始まる。
その「小吉」が息子の「海舟」のために剣術の師を探すときの事が書いてある。
ずいぶん以前に読んだ本なので細かいところは違っているかも知れない。
「師を探すコツは、1番目に人間性(人物)である。技量、知識は2番目である。」と書いている。
その通りだと思う。
師(先生)はその専門性に通じているのは当たり前だが、それはあくまで2番目であり、
1番目は人間として立派な人物であるかどうかである。
「小吉」の教え通り、智学館の先生方は、1番目にその人間性を見て採用している。
それでも時々、見まちがう。
良き「師」を探すのは難しい。
※安部総理は事あるごとに自身が長州(山口)出身である事を話す。
そう言う意味では吉田松陰と松下村塾、塾生たちの影響を受けていると考える。