詳しく解説したら本当に行くんでしょうか? | 【三原】智学館 代表兼「親のあり方セミナー」主宰平岡智彰

【三原】智学館 代表兼「親のあり方セミナー」主宰平岡智彰

2010年5月、土日限定の個別指導塾を自宅マンションを使って開校。週3回、4回と増え、2011年4月より週6回指導となりました。毎回の授業後の電話報告で「授業回数と同じ回数のお母様との会話」をさせていただいています。「生徒と親と塾」の三位一体指導がモットーです!

こんにちは!智学館です!

 

本日は長文になりますので、本題から入りますね。

 

 

 

以前の衆議院選挙のことですが、テレビを見ていたら「選挙に行かなかった人」にインタビューして「なぜ選挙に行かなかったのですか?」を問うているシーンがありました。

 

その中のひとりの20歳の女性で大学生とテロップに出た人が「選挙制度とかをもっとわかりやすく解説してくれたら行くかも」と言っていました。

 

現行の小選挙区比例代表並立制は1996年から導入されており、選挙制度については少なくとも中学生で丁寧に習います。

 

高校入試にだって必須単元ですから、真面目にやった人はもちろん不真面目だった人でさえも少なくとも中学生で丁寧に習います。

 

しかし、テレビに出ていたこの大学生は「もっとわかりやすく解説してくれたら」と言っている。

 

彼女はどうやって大学入試までたどり着いて大学に入ったんだろう?って不思議な感覚でした。

 

 

 

だからといって、詳しく解説してみたところでこの大学生は選挙に行くんでしょうか?

 

もちろん行かないだろうし、別に行かなくてもいいです。

 

それがその人の選択ですからね。

 

だけど「選挙制度云々…」は関係ありません。

 

子どもでも「わからない」というから詳しく解説したらわかるのか?

 

だいたいわからないし、丁寧に説明すればするほどわからなくなるでしょう。

 

わかったという子どもも本当にわかっているわけではなく、わかったつもりになっている子どもが多い。

 

解かせたら解けなかったりしますからね。

 

 

 

ここに大きなテーマがあると思うんです。

 

教えても教えてもわからない。

 

丁寧に説明しても何度言っても子どもが理解できない。

 

説明する者は詳しくなって説明もメッチャうまくなるけれど、説明させる者の理解はそれほど進まない。

 

それを理解しない親が今日もマーカーを手に家に設置した簡易の白板に、鉛筆を手にノートにさまざまな文字を書いて汗を流して説明している。

 

親の知識も教え方も先生並みになっているのに子どもの成績は上がらない。

 

ぶっちゃけて言うと、成績を上げるためにわかりやすい説明なんていらないんです。

 

ないよりはあったほうがいいけれど絶対条件じゃありません。

 

それよりは、わかろうとする気持ちが持てるようにすることのほうが大事だし、説明してしゃべるのは子どもでなくてはいけません。

 

子どもが理解していないといけないんですからね。

 

「親は教えるな」というのはそういう意味でもあります。

 

子どもが知らない漢字があれば教えてやればいいし「どうやるの?」って聞かれてわかるなら教えてもいい。

 

でも詳しい解説や説明を親がすることはありません。

 

というか、それをしたら子どもの理解が進むのを妨げることになります。

 

教えるくらいなら解説を子ども自身に読ませるほうが理解は進みます。

 

 

 

「もっとわかりやすく解説してくれたら」と子どもが言ったら、すぐに説明を始めるのではなく「じゃあ今わかっていることを言ってごらん」と返しましょう。

 

「今はどんな選挙制度で選挙が行われているか知ってる?」ってね。

 

そこで前提となる「小選挙区比例代表並立制」が出ないのに「小選挙区っていうのはね…」なんて説明してもダメです。

 

まずは衆議院の選挙制度は「小選挙区比例代表並立制」だと書かせましょう。

 

漢字がすばらしいのは、見たらイメージがわくってことです。

 

「小選挙区ってどんな選挙区か想像してみて」

 

「比例って習ったよね。比例ってどういうこと?」

 

実際は、こういうことは家でしなくても授業で先生があの手この手でしてくれるはずです。

 

でもそれはまるで聞いてない。

 

で「もっとわかりやすく解説してくれたら」と子どもが言うので説明する。

 

この子の理解は進むのでしょうか?

 

ノー!

 

 

 

この大学生に必要なのは、選挙制度の詳しいパンフレットでもなく丁寧な解説でもない。

 

本人が知りたいと思うでもなく、努力して獲得したいという欲求もなく、ただ20歳になったから自動的に与えられた選挙権というものに価値は見いだせないでしょう。

 

クリスマスが来たからと自動的に与えられたプレゼントを子どもがそれほど大切にしないのと同じです。

 

残念だけど、与えてくれた人にもそれほど感謝もないでしょう。

 

 

 

それはなぜ?

 

自動的に教えたり与えたりするからです。

 

「教える」「与える」っていうのは難しいんです。

 

「欲しい」って言ったらすぐに買っちゃうでしょ。

 

でもそれはダメです。

 

買ってやってもいいけど「欲しい」って思ってからすぐではなく「溜め」がいるんです。

 

その溜めが効いていると、獲得した価値が出るから大事にするんです。

 

「どうして大事にしないの?」なんて親は口にするけれど、大事にしたくなるような与え方をしないから大事にしないという見方もできます。

 

だからといって「溜め」が長ければ長いほうがいいわけではありません。

 

旬があるから…。

 

 

 

時には結局手に入らないものがあるのが望ましいと思います。

 

でも、親はみんな耐えられない。

 

「たけしくんも持ってるし、よしこちゃんも持ってる。みんな持ってるもん。ボクは仲間外れにされちゃうよ」なんてガキは親の泣き所を知っている。

 

または「うちに来たサンタはケチくせー」って言われるのが怖くて大判振る舞いしちゃったりね。

 

みんながコンビニでボカボカ買っている中で、お金を持っていなくて何も買えない子どもはしんどいだろうけど、1か月に1回買える132円のからあげ棒がやけにうまいってことを知らないといけません。

 

毎日食べているガキは「おれ、もう食べ飽きたよ」なんて言う。

 

舐めくさってるんです、からあげ棒をね。

 

 

 

一方で「溜め」が効いている子どもは、ありがたさがわかるし嬉しさは倍増だしやけにおいしく感じる。

 

お父さんが一緒にいて「帰ったらすぐ勉強しないといけないしなあ。じゃあ今日は特別にスペシャルビッグフランクもいいぞ!」なんて奮発して言われたら、お父さんが天使に見えちゃう。

 

そしたら勉強も頑張っちゃうかもしれません。

 

買い食いできないで家に帰ってご飯を食べると、お母さんのイマイチの料理も腹が空いているからおいしく感じられるっていうもんです。

 

 

 

「どう教えるのか」「どう与えるのか」を考えないで、機関銃のように教えたりボカボカ考えずに与えたりするのは、お互いが手を取り合って不幸な気持ちになる道をまっしぐらに進んでいるようなものです。

 

下世話な話ですが、7000円のゲームソフトなんか買わなくても、165円のスペシャルビッグフランクで疾走するんですよ、子どもってね。

 

そのためには普段、どう子どもに与えているかが勝負です。

 

なんでもあるしなんでもたいてい買えるっていうのは、実はものすごく不自由だってことにそろそろ気づくべきではないでしょうか?