勉強しない子どもを勉強させるコミュニケーション | 【三原】智学館 代表兼「親のあり方セミナー」主宰平岡智彰

【三原】智学館 代表兼「親のあり方セミナー」主宰平岡智彰

2010年5月、土日限定の個別指導塾を自宅マンションを使って開校。週3回、4回と増え、2011年4月より週6回指導となりました。毎回の授業後の電話報告で「授業回数と同じ回数のお母様との会話」をさせていただいています。「生徒と親と塾」の三位一体指導がモットーです!

こんにちは!智学館です!

 

本日は本題から入りますね。

 

 

 

10年ほど前の話ですが、2013年に実施された衆議院の選挙では「投票率の低下」が話題になりました。

 

当時の受験生は時事問題として、衆議院の構成や選挙の仕組みを特に重視して勉強したことと思います。

 

その選挙における「投票率の低下」について「投票率の低下を嘆く」のは「勉強しない子に勉強しろと言うのに似ている」というおもしろい指摘をされた方がいましたので紹介します。

 

 

 

鶴野充茂 2014年12月19日

 

『投票率の低さを嘆くのは逆効果ですよ』

 

選挙に行かない人が反応しない方法で投票の重要性を訴える様子は、なんだか勉強しない子どもに勉強しろという親に似ていて切ないものを感じます。

 

勉強しない子どもを勉強させるコミュニケーションには原則があります。

 

●「いい仕事に就けない」「いい大学に入れない」などの意味を伝えるものは効果が低く

 

●「お父さんみたいになるよ」というのは最悪(お父さんの言葉を聞かなくなる)で

 

●「一緒にやろう」というのが最も効果がある

 

といったことなのですが、長期的に最も大切なのは

 

●親が勉強している姿を見せることです、しかも楽しそうに。

 

親の問題意識としては、勉強する習慣をつけさせることの大切さや意味を伝えたいわけですが、それをそのままの言葉で言ったとしてもうまくいきません。

 

やろうと思っている人ですら「今やろうと思ってたのに」と言ってやる気を失いますからね。

 

必要性で訴えるだけではダメなんです。

 

問題意識と投げかけは別だということ。

 

そして、受け手の関心と感情を意識した投げかけを工夫するということが大切です。

 

 

 

コミュニケーションの専門家である鶴野さんは「問題意識と投げかけは別だ」と指摘し「大切さや意味を伝えたい」としても「それをそのままの言葉で言ったとしてもうまくいきません」とおっしゃっています。

 

親もこれについては一度真剣に、特に子どもに親の言うことが伝わらない場合は考えてみる価値があると思います。

 

考えてみるとは、もちろん鶴野さんが提案している「受け手の関心と感情を意識した投げかけ」です。

 

 

 

先のことがある程度見通せる親が、1週間後のことさえ想像できない子どもにまともにぶつかっても、思うような反応は得られないでしょう。

 

子ども目線というのはまさにそのことです。

 

その反応を起こすために鶴野さんが最悪と指摘していること。

 

●「お父さんみたいになるよ」というのは最悪(お父さんの言葉を聞かなくなる)

 

鶴野さんはこれを最悪と書いておられますが、実は私なんかはこれを使ったことがあります。

 

これまで「オレみたいになるよ」は生徒に対して使いましたが、割と反応は上々でした。

 

これを思い切って話題にするとかなり盛り上がり、合言葉「先生みたいにならない!」が生まれ「ボクは違いますから」という反応が出る。

 

その反応が出たら「一緒だろ?」「いえ、違います」と押し問答を繰り返し「じゃあ、オレと違うというところをここで見せてくれ」って言ってその場で勉強をやらせる。

 

「ボクは違います」って言うなら見せてくれというわけですね。

 

「オレは三日坊主だったけどキミはどうや?」と問えば「いいえ、ワタシは違います」と違うんだということを見せようとする。

 

子どもが本気で「ボクはあなたのようなロクデナシではありません」と思ったとき、子どもはそれを示そうとします。

 

なので「お父さんみたいになるよ」というときは本気の「自分のダメ度」をぶちまけなきゃいけません。

 

それで「言うことを聞かなくなる」ってことは、私自身生徒に対して一度も経験したことはありません。

 

このことを申し添えたうえで、子どもの反応が得られないときは、投げかける側、親のほうが考えてみる。

 

これが王道です。

 

 

 

鶴野さん曰く、投票に関して言えば

 

投票しても変わらない

投票はおもしろくない

 

という2つを感じさせるものは投票率ダウンにつながります。

 

私がこれを言い換えるとすれば、勉強に関して言えば

 

勉強しても変わらない

勉強はおもしろくない

 

という2つを感じさせるものは勉強のモチベーションのダウンにつながります。

 

となります。

 

 

 

「どうせやっても無駄」と思っていれば勉強はできないし、勉強しなければしないほど勉強はおもしろくなくなるのが必定。

 

いい点数が取れるから頑張ろうって思えるわけで、また今回もダメで怒られると思えば、そしてそれが続けば、人は「最初から何もしない」という最も楽な道を選ぶのは当たり前の行為です。

 

「なんか今回はイケるんじゃない?」って気持ちを少しでも持ってもらえるように親が頑張るんです。

 

子どもに意欲的に勉強に取り組んでほしいのなら。

 

意欲なんて「できる」と思うから出てくるのであって「絶対にできない」「やっても無駄」と思っている場所や位置から自力で抜け出せはしないですからね。

 

それなのに「やる気でやりなさい」なんて言っても動かせないですよ、子どもは。

 

勉強において「受け手の関心と感情を意識した投げかけを工夫する」とはそういうことでしょう。

 

 

 

鶴野さん曰く

 

政治や選挙が「自分とは関係ないもの」と思っている人たちに、一般的なイメージとは異なる体験を与えられないだろうか、ということです。

 

私がこれを言い換えるとすれば

 

いい点数やいい成績が「自分とは関係ないもの」と思っている子どもたちに、一般的なイメージとは異なる体験を与えられないだろうか

 

となります。

 

勉強において成績を上げる「一般的なイメージ」とは「猛勉強」とかになると思いますが、そうではなく「猛勉強なんかしなくてもいいから、まず1日30分でいこうや」という「異なる体験」で「もしかしたらイケるかも?」と思わせるんです。

 

それが私が提案している「1日30分勉強」です。

 

最初はたった30分でいいから親子で一緒にやれば「なんか今回はイケるかも?」と思ってもらえる。

 

思ってもらえるようなものを子どもに示すんです。

 

 

 

親が子どもの勉強を見るなんていうと、今時流行らないことでしょうが「一般的なイメージとは異なる体験」を子どもに与えるものと考えれば、やってみようかと思う人も増えるかもしれないですよね。

 

学校現場等でこの「一般的なイメージとは異なる体験」を運よく与えられれば幸いだけど、与えられていない子どもが全体でいえば少なくとも半分はいると思います。

 

それは子どもに能力がないのではなく「異なる体験」を与えられていないだけではないのか、是非一度そういう観点から考えてみることをおススメします。

 

心配ばかりするのではなく関与してほしいんです。