真の赦しの実践で腑に落ちてきたこと
私たちは結果のレベルでなんとかしようとする傾向がある。。だから原因をこの世界に求めたりする。誰かが原因にだと思ったり、自分のあれこれの行動のせいだと思ったり、環境や出来事が原因だと思いがちだけれど。本当の原因はそこには無い。。また、この世界で力がある人や何かに頼って、この状態を変えても欲しいと依存しがちです。。
この世界に原因を求めさせるのは「自我」。聖霊はここには原因はなく、私が感じる苦痛や葛藤や違和感や痛みや、あらゆることの原因はたったひとつの原因だと教える。しかもその原因を選んだのは、ほかでもない「わたし」であると。。。。それは神からの分離を選んだこと。そしてそれを信じたこと。信じて深刻に捉えて罪だ、罪悪感だ、報復される恐れと思いこんだこと。それを抑圧してこの世界に投影したこと。。。自我を選んだからなんだよと教えてくれます。しかも選んだことを私たちは忘れているから、原因と結果がまったく別に見えるだけだったんですね。
だとしたら、原因を選んのは「私である」。それを間違いだと積極的に認めて、変わりたいという動機・願望が必要で、「心から別の選択をしたい」「違う見方をしたい・別の感じ方をしたい」「聖霊を選びたい」「幻想ではない真理を選びたい」と決断したときに、はじめて聖霊は。。。。。。
「よっしゃあああああ。任せて」と力を貸してくれ、神から分離するという間違った決断や、思い込んできた罪・罪悪感・恐れを訂正してくれるんですね。。。。。原因の最初まで戻って「原因の訂正」を願ったとき。はたらいてくれる。。。原因しか訂正できないわけなんだ。だから奇跡講座というのは「原因を変えるコース」なのだ。そして「心」が真に決断の力を持っていることを実感させてくれる。それが聖霊の真の助けであり愛ある助けなんですね。これって禅の用語にある「卒啄同時」(そったくどうじ)を髣髴とさせますね。卵の中にいるヒナも、ここから出たいという意欲が必要で、親鳥もそれを察知して手助けする。そのときにはじめて「殻をやぶって生まれる」
一方で原因ではなく結果を変える方法(世界を変える方法、関係を変える方法なら)、スピリチュアルな方法でも社会的な活動でもあるわけです。私はたくさんやってきたわけです。でもどの方法も結果のレベルでの変化は、本当の意味での変化じゃなかったわけです。。だから自分が結果のレベルに留まって 「聖霊おねがい。私のこの恐れをなんとかして~~」では聖霊は働くことができないし真の助けにはならない。しっかりと原因のレベルに戻ることが必要なんですね。すごく腑に落ちています。
下記は奇跡講座テキストより。。。
「1あなたは依然として恐れについて不平を言うかもしれないが、それでもあなたは今も自分自身を恐れさせることを続けている。2すでに指摘したように、あなたは私に、恐れから解放してほしいと求めることはできない。3私には恐れが存在しないとわかっているが、あなたにはわかっていない。4もし私があなたの想念とその結果との間に介入するなら、存在する法則の中でも最も根源的な「原因と結果」の基本法則に干渉することになる。5もし私があなた自身の思考の力を軽んじるなら、私はあなたを助けることにはならない。6そうすることはこのコースの目的と真っ向から対立する。(T-2.VII.1:1-6)」


