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宝石紫ちえ先生物語第1話
『高校生までは普通の子』
 
宝石ブルーちえ先生物語第2話
『音大受験』
 
高3の夏に音大受験を決めた、ちえ先生。
試験内容は、
 
ソルフェージュ(新曲視唱、聴音)
楽典
声楽の実技
ダンスの実技
 
で、夏以降 
ソルフェージュはカワイ音楽教室の先生のところへ通い
声楽の実技は、ピアノの先生の娘さん(同志社大声楽科)や
叔父(自称シンガー!?)に 習ったりして、
迎えた秋の推薦入試。
 
ソルフェージュなどは難なくこなしたものの
実技はド緊張~。
1人ずつ 審査官の前で歌を歌ってから
全員でダンス審査。
振付は宝塚の演出もこなすO田先生グラサン
 
実はこの時まだダンスは習ってなかった私シラー
歌も 喉が力んだ歌い方だったな~。
 
 
 
結果 不合格ダウン
完全なる実力不足でしたね。 
 
 
という訳で 2月の音大一般入試にむけて
勉強をし直すと同時に
滑り止めに併願で、大阪国際女子短大の
幼児教育科も入試することに決めました。
 
 
思いもよらぬ、電話が音大からかかってきましたびっくり
それは、
 
『推薦入試のソルフェージュの
試験結果が良かったので
一般入試のソルフェージュの
試験は免除します』
 
というお電話キョロキョロ!!
えええ~!?そんなこと、あるんラブ!?
やったーーーーラブラブ!!!
なんか得した気分になりましたチョキアップ
 
ただ一般入試は音大といえど
一般教科の国語と、数学も試験があり
あとは楽典、実技の声楽と、ダンス。
 
推薦入試が不合格だった原因として
ダンスの実力不足もありました。
そこで
ピアノの先生が強力なコネを利用し、、、
 
なんと
音大ミュージカルクラスの卒業生、
えりりん先輩をダンス講師として
紹介して頂いたのですびっくり
(これ、今思えばよく繋がっていたなぁ~と
思いますあせる
私がえりりん先輩のお家に習いに行ったり
えりりん先輩が、うちに来てくれたりしました。
そこで、ダンスの練習場所として
使われたのが、当時
物置と化して誰も使用していなかった
現在のちえスタジオの建物です。
そこで、初めて、えりりん先輩に
ダンスレッスンをして頂いたのですキラキラ
最初はバレエのバーレッスンの基本と
アイソレーション、ジャズの基本ステップ、
簡単な振付など。
それは、とっても新鮮で楽しく
一般入試に向けてのダンス審査への不安を
払拭することが出来ました。
 
 また12月に、音大で一般入試者に対しての
冬期講習が開催されたので、それに参加しました。
そこで出会ったのが いまだに絡んでいる、
 
と受験会場で出会った
20年以上キョロキョロの、濃くて長いお付き合いになるとは
当時(まだ音大受かってない)の私は
知るわけもないのですが得意げ
 
当時の幸恵氏は今も同じでよくしゃべり。
ゆいゆいは、アルゴミュージカルの歌とダンスを
待ち時間に、ずっと踊っていた記憶があります音譜
 
冬期講習で仲良くなったお友達と、
春に再会できる事を目指し、
またまた毎週のレッスンに取り組む私。
勉強は得意ではありませんが
『自分がやりたいこと』のジャンルに対しては
こんなにも集中し、努力できるものなのだと
自分自身に驚いたほど、レッスンも勉強も
常に集中していました。
高校の音楽の先生にピアノ伴奏をお願いして、
声楽試験の練習に付き合ってもらうこともありました。
できることはすべて行いました。
 
努力の甲斐あって、普通科Ⅰ類の、
バトミントン部マネージャーの
一般の公立高校から、
音大に合格することが出来ました。
半端ない周囲の助けも、まさかの絶対音感にも恵まれ
音大に進学する事ができ
周囲をびっくりさせたのでしたべーっだ!
 
つづくヒヨコ