久しぶりの更新。
会社の先輩夫婦が少し前に東京に日帰りで
美術館に行かれたというので
聞いてみると・・・
セツモードセミナーの校長だった長沢節さんの
生誕100年の記念と今年4月に閉校した
セツモードセミナー最後の記念展示でした。
かつて私が通っていた学校なので是非行きたかったのですが
6月25日で展示は終了とのことでもう間に合わず諦めました。
長沢節さんを知ったのは高校生くらいの時で(たぶん)
ファッション雑誌のananやnon・noを読むようになったのは
中学生の頃、友人のお姉さんが読んでる噂から興味を持ち
友人仲間で集まって読んでるうちに
少女漫画以外にも購読する価値があるものと思いはじめました。
長沢節さんはその中に時々登場し
ファッション界を超え美術界もリードしてるかに思え
美術系を専攻していた私の周りでも
憧れの方でした。
自由の学校を作り
独自の美意識と価値観とを貫いて
学校の中に生活しいつも生徒に寄り添い
自分の城を築いていた。
思い出を振り返りながら
長沢節先生の在りし日の姿や
その信念や美学やこだわりを思いながら
・・・・・
Yahoo!ニュースの内容メモしておこうと思いました。
ア ディユー(A Dieu.) さ よ な らーーー川久保玲や山本耀司といった日本を代表するデザイナーや芸術家を数多く輩出してきたセツ・モードセミナーが、そのホームページで“伝説の自由学校”の最後を告げている。創立者 長沢節の生誕から今年で100年。その功績からカリスマと称された長沢節が、セツ・モードセミナーで伝えたかったことは何だったのか。2017年4月をもって閉校することが決まった同校の軌跡と長沢節の人生を、長沢秀 現校長へのインタビューを通じて振り返る。
各界で活躍するクリエイター輩出「セツ・モードセミナー」2017年春をもって閉校
節を囲む川久保玲や山本耀司、花井幸子ら
長沢節の誕生からセツ・モードセミナー閉校まで
長沢節(本名 長澤昇)は1917年、会津若松市出身。文化学院在学中の20歳(1938年)の時に、挿絵画家としてデビュー。「スタイル画」の第一人者としてファッション業界をリードする存在となっただけではなく、エッセイストや映画評論家としても活躍した。
セツ・モードセミナーの歴史は、前身となる「長沢節スタイル画教室」から始まった。当時、弟子入りを志願する若者が節の自宅に押しかけていたため、プライバシーを保つ手段として西塚庫男の帽子専門教室「サロン・ド・シャポー」を間借りする形で1954年6月に開校。授業は毎週土曜日の3時間のみでカリキュラムはなく、モデルを囲みデッサンをするという内容だった。デッサンには節も生徒たちと肩を並べて参加。第1期生には穂積和夫や河原淳ら優秀な人材がそろっていたことから、節はいつしか彼らと仲間になり、土曜日を心待ちするようになったという。
3年後の1957年には、麻布笄町にある寺院境内に併設された幼稚園の2階に教室を移転。週1回だった授業を週3回に増やし、穂積和夫や河原淳らを教師に迎えた。名称を現在の「セツ・モードセミナー」に変更し、小さな教室が学校として発展していった。
新宿区舟町にある現在の校舎は1965年に建設され、節が自ら設計を担当。この時点で学校が暮らしの中心となり、生徒との会話から性差を超越する概念「モノ・セックス」が生まれるなど「自由の精神」を伝えてきた。しかし1999年に大原でのスケッチ旅行の最中、自転車による事故により82歳で死去。甥の長沢秀氏が校長を引き継ぎ現在まで運営してきたが、節の生誕100年を機に「節先生の魂(自由の精神=セツ・モードセミナー)をそろそろ天国に送り届けてあげたい」という想いから、閉校が決定された。
卒業生に受け継いで欲しい節の「自由の精神」
節が亡くなってからまもなく18年の歳月が経つ。先日は17回忌があったそうだ。「自分に厳しい人でした」と秀氏は在りし日の面影を偲ぶが、学校での様子からは、生徒への愛情に溢れているのがわかる。
「晩年は朝5時から活動していました。セツ・モードセミナーは3部制で、朝10時に最初の授業を開始する鐘が鳴ると、すぐにデッサンが描ける心と体の準備をして、プライベートルームの屋根裏部屋から完全にドレスアップした姿で降りてくるんです。自分で決めたモデルなのに『今日のはカッコイイなあ』なんて言いながら、生徒と一緒に描く。たいてい午後は銀座の映画の試写会に行き、一日1本、13時か15時の回に行って、道草を食わずに学校のコーヒータイムが終わるまでに帰ってくる。生徒が待っているからです。夜間の授業にも出て、20時の休憩の頃には眠くなる。そして生徒から『先生おやすみなさい』と言われて、屋根裏部屋に戻っていく。そんな毎日でした」
1ポーズでも多く生徒と一緒にいることを心がけていたという節は、一緒に描くことを「生徒へのサービスであり教育」と考えていた。「節は生徒といる時が一番楽しそうで、活力がありました。きっと若い人からエネルギーを貰っていたのでしょう」。
節が愛情と情熱を注いだセツ・モードセミナーで伝えてきたものとは何だったのか。「自由の精神です」と代弁する秀氏は、ここから飛び立っていった多くの卒業生に向けて「それを受け継ぎ、実行してほしい」とメッセージを送った。セツ・モードセミナーは閉校するが、節の魂はこれからも、芸術と真摯に向き合うクリエーターの心に生き続けることだろう。
会社の先輩夫婦が少し前に東京に日帰りで
美術館に行かれたというので
聞いてみると・・・
セツモードセミナーの校長だった長沢節さんの
生誕100年の記念と今年4月に閉校した
セツモードセミナー最後の記念展示でした。
かつて私が通っていた学校なので是非行きたかったのですが
6月25日で展示は終了とのことでもう間に合わず諦めました。
長沢節さんを知ったのは高校生くらいの時で(たぶん)
ファッション雑誌のananやnon・noを読むようになったのは
中学生の頃、友人のお姉さんが読んでる噂から興味を持ち
友人仲間で集まって読んでるうちに
少女漫画以外にも購読する価値があるものと思いはじめました。
長沢節さんはその中に時々登場し
ファッション界を超え美術界もリードしてるかに思え
美術系を専攻していた私の周りでも
憧れの方でした。
自由の学校を作り
独自の美意識と価値観とを貫いて
学校の中に生活しいつも生徒に寄り添い
自分の城を築いていた。
思い出を振り返りながら
長沢節先生の在りし日の姿や
その信念や美学やこだわりを思いながら
・・・・・
Yahoo!ニュースの内容メモしておこうと思いました。
ア ディユー(A Dieu.) さ よ な らーーー川久保玲や山本耀司といった日本を代表するデザイナーや芸術家を数多く輩出してきたセツ・モードセミナーが、そのホームページで“伝説の自由学校”の最後を告げている。創立者 長沢節の生誕から今年で100年。その功績からカリスマと称された長沢節が、セツ・モードセミナーで伝えたかったことは何だったのか。2017年4月をもって閉校することが決まった同校の軌跡と長沢節の人生を、長沢秀 現校長へのインタビューを通じて振り返る。
各界で活躍するクリエイター輩出「セツ・モードセミナー」2017年春をもって閉校
節を囲む川久保玲や山本耀司、花井幸子ら
長沢節の誕生からセツ・モードセミナー閉校まで
長沢節(本名 長澤昇)は1917年、会津若松市出身。文化学院在学中の20歳(1938年)の時に、挿絵画家としてデビュー。「スタイル画」の第一人者としてファッション業界をリードする存在となっただけではなく、エッセイストや映画評論家としても活躍した。
セツ・モードセミナーの歴史は、前身となる「長沢節スタイル画教室」から始まった。当時、弟子入りを志願する若者が節の自宅に押しかけていたため、プライバシーを保つ手段として西塚庫男の帽子専門教室「サロン・ド・シャポー」を間借りする形で1954年6月に開校。授業は毎週土曜日の3時間のみでカリキュラムはなく、モデルを囲みデッサンをするという内容だった。デッサンには節も生徒たちと肩を並べて参加。第1期生には穂積和夫や河原淳ら優秀な人材がそろっていたことから、節はいつしか彼らと仲間になり、土曜日を心待ちするようになったという。
3年後の1957年には、麻布笄町にある寺院境内に併設された幼稚園の2階に教室を移転。週1回だった授業を週3回に増やし、穂積和夫や河原淳らを教師に迎えた。名称を現在の「セツ・モードセミナー」に変更し、小さな教室が学校として発展していった。
新宿区舟町にある現在の校舎は1965年に建設され、節が自ら設計を担当。この時点で学校が暮らしの中心となり、生徒との会話から性差を超越する概念「モノ・セックス」が生まれるなど「自由の精神」を伝えてきた。しかし1999年に大原でのスケッチ旅行の最中、自転車による事故により82歳で死去。甥の長沢秀氏が校長を引き継ぎ現在まで運営してきたが、節の生誕100年を機に「節先生の魂(自由の精神=セツ・モードセミナー)をそろそろ天国に送り届けてあげたい」という想いから、閉校が決定された。
卒業生に受け継いで欲しい節の「自由の精神」
節が亡くなってからまもなく18年の歳月が経つ。先日は17回忌があったそうだ。「自分に厳しい人でした」と秀氏は在りし日の面影を偲ぶが、学校での様子からは、生徒への愛情に溢れているのがわかる。
「晩年は朝5時から活動していました。セツ・モードセミナーは3部制で、朝10時に最初の授業を開始する鐘が鳴ると、すぐにデッサンが描ける心と体の準備をして、プライベートルームの屋根裏部屋から完全にドレスアップした姿で降りてくるんです。自分で決めたモデルなのに『今日のはカッコイイなあ』なんて言いながら、生徒と一緒に描く。たいてい午後は銀座の映画の試写会に行き、一日1本、13時か15時の回に行って、道草を食わずに学校のコーヒータイムが終わるまでに帰ってくる。生徒が待っているからです。夜間の授業にも出て、20時の休憩の頃には眠くなる。そして生徒から『先生おやすみなさい』と言われて、屋根裏部屋に戻っていく。そんな毎日でした」
1ポーズでも多く生徒と一緒にいることを心がけていたという節は、一緒に描くことを「生徒へのサービスであり教育」と考えていた。「節は生徒といる時が一番楽しそうで、活力がありました。きっと若い人からエネルギーを貰っていたのでしょう」。
節が愛情と情熱を注いだセツ・モードセミナーで伝えてきたものとは何だったのか。「自由の精神です」と代弁する秀氏は、ここから飛び立っていった多くの卒業生に向けて「それを受け継ぎ、実行してほしい」とメッセージを送った。セツ・モードセミナーは閉校するが、節の魂はこれからも、芸術と真摯に向き合うクリエーターの心に生き続けることだろう。