「うぉぉぉ、あづうううぅぅぅ」
瀬々良木るりかは、ダンススタジオから出るなり、夏に対してこれ以上ないくらい、絶望的な声を発した。
スタジオは室内。熱中症対策ということもあり、温度調節はちゃんとしていたため、それなりに心地よい汗をかくことが出来た。
しかしレッスンが終わり、玄関のその扉をあけるや否や!
むわりと、不快指数2億%の熱気が彼女らにまとわりついたのだ。
「るりかさんの、その叫び自体の不快感も、ひどくてよ」
続いて「言わなくても、十分に暑いことは承知ですわ」と言った表情で、玄関からみつばが出てきた。
「湿気が酷いよな」
穂ノ尾あかねも出てきた。若干浅黒いあかねの額には玉ような汗がというか、滝のような汗が滴っていた。
「雨、ふりそう!」
最後に英ちえりが出てきたが、空を見上げながら、そう言った。
確かに今すぐに雨が降りだしてもおかしくないような、重たい鉛色をした雲が結構なスピートで空を泳いでいた。
ちえりたちが通うダンススタジオ「パッパラダイス」の、体験ダンスレッスンも2日目が幕を閉じた。
いつものように、彼女らは自販機前でたむろしながら、ドリンクをいっぱいひっかけている。
「…来なかったですわね、かえでさん」
みつばが、ボソッと言った。
「仕方ない。色々予定があるんだろ?」
ぽん、とちえりの頭を軽く叩く。
「うん。残念」
ちえりは言葉の通りの表情を見せた。
昨日来た少し不思議な娘、かえでは、体験ダンスレッスン2日目には姿を現さなかった。
昨日、あれだけ盛り上がっていただけに、なんとなく来ないとショックだった。
るりかは「やはり昨日無理に誘ったのでイヤになっちゃったのか?」などと先走った妄想ひとり反省会を開催しそうな勢いだ。
すると、ちえりが持つバッグから、ぴょこんと、ぱれっとが顔を出した。
「来なくて良かったのれす!」
今度はるりかのスポーツバッグから、かあらが顔を出した。
「あの娘(こ)、なんだか、あやしかったカラ!」
「なんとなく、勘れすけど!」
「そうかな」
るりかにはあまりピンと来なかった。いかにも気弱そうで、好きな色も「緑」。調和とか、穏便とかそう言う言葉が似合いそうな彼女を、あやしいだなんて。
「あかねはどう思う?」
「あやしいって言われても、わからないけど。…でも、まあ、何となくカゲがある気がしたな」
あかねもあまり的確に意見できないようだ。
「もしかして…あれなんじゃない…ホラ、夏だし、実は…本物のかえでさんだったりして。つまり…」
と、るりかがウラメシヤ~なポーズをした。
「ひゃあああああ―――!」
誰かが、大きな悲鳴をあげた。
「あ、あかねちゃん、苦しい、です…」
荒くれファイターの異名を持つ、穂ノ尾あかねが、悲鳴を上げるとともに、ちえりの首元にしがみついていた。あかねのバカちからで、両腕でちえりの首を締めるように抱きついていたら、5秒後にちえりは確実に落ちる。
「あ、いや、ちえり悪かった。なんでも、なんでもない!」
ふるふると首を横に振ると、その腕をちえりからほどく。
「ちょっと! おふたりとも、不謹慎ですわ!」
みつばがるりかに怒った。
確かに、お隣、翡翠森夫婦の亡くなった娘さんの話だ。オバケネタにするなんて不謹慎も甚だしい。
「ご、ごめんなさい…」
何故か、あかねもちえりも一緒に謝っていた。
「あ! あれ、かえでちゃん!」
ちえりが叫んだ。あかねが瞬間「ひいぃぃ!」と声を漏らしたが、みんな笑わないようにした。みつばに怒られるから。
「用事があって遅れちゃったわ。ごめんなさい」
かえで(仮)が近づいて来た。昨日と同じで、GREEN書いてあるTシャツを着ていた。
「残念でしたね。終わってもわざわざ来るなんて、熱心ですね」
るりかが言った。
「そう、熱心なの。だから、ちえりちゃん。少し公園とかでダンスレッスンしてくれないかしら?」
「うん、いいよ!」
「ありがとう。恥ずかしいから、なるべくなら個人レッスンがいいわ…」
「わかた!」
ちえりは笑顔で返事をした。
「えー!? わたくしも行きますわ!」
なんだか、仲間はずれをしているみたいで、みつばは食い下がった。
「ちょっとみつばお嬢様! JC組は腹ぺこなのれす!」
るりかが、みつばを手招きした。直訳すると「みつばちゃん。育ち盛りの女子中学生のあたしとあかねは、早くばあやの夕食が食べたいです」と言うことで、かつ、ぱれっとを同時に茶化す合わせ技だ。
「も~! わかりましたわ! 先に帰ればよろしいのでしょう? これだから庶民は意地汚いのですわ」
ぶんぶんがプンプンに怒った。
「だってさぁ~、さすがにみつばナシでお屋敷には帰れないからさ」
あかねもみつばを宥めた。ふたりとも全力で空腹のようだ。そうこうしている間に、ちえりはかえで(仮)の手を引いて、公園に行ってしまった。
ダンススタジオから10メートルも歩けば、ちょっと広い公園があった。
空は相変わらず、どんよりした雲が流れていた。生暖かい風も吹いている。これは一雨来そうな気配だ。見れば公園には誰もいない。
「じゃあ、ダンスのレッスンを始めます」
ちえりはバッグをベンチに置くと、静かに立ち、かえで(仮)に言った。
「…ねえ、ちえりちゃん。その前に、大きな桜色の宝石みたいな石、持ってるわよね。見せてくれない?」
唐突に、かえで(仮)がそんなことを言う。
「うん。あるよ。う~ん。ちょっとだけなら…」
そういって、ちえりはポケットから桜色の色彩元珠(パステルオーブ)を取り出した。
「手にとって見てもいい?」
かえで(仮)が、桜色の色彩元珠(パステルオーブ)に手を伸ばす。
「う~ん、ちょっとだけなら…」
「ダメれす! 渡したらダメなのれす!」
ぱれっとが勢い良くバッグから飛び出した。
「わ、ぱれっと!」
突然、ぱれっとが飛び出すわ、叫ぶわで、ちえりはびっくりして固まってしまう。
「…頂いたわ、桜色のパステルオーブ」
そのスキをついて、ちえりの桜色の色彩元珠(パステルオーブ)を、かえで(仮)は、いや、ダークネスグリーンは奪うことに成功した。