今日から秋保の1泊で電車の中 ナウ

今日は宿入り前に岩沼市の方にある『千年希望の丘』というところを視察して宿入り、明日は松島やって帰ってくるの。

ヒマコは震災関連の場所がどうも苦手で。。


あの時のことは今でも昨日のことのように覚えている。

1人で家でdvd を見ていてね、、いきなりスゴい音がテレビやら携帯電話から流れて来て、そしてグラグラと揺れはじめて、、

火の点検して、庭に面したガラス戸あけてテーブルの下にもぐった。

携帯も繋がらなくなると思ったから、すぐウニに、

ママはおうちにいます。大丈夫ですって、、

確かi-modeよね、まだ。

メールしたの。


あれから毎日テレビのニュース見ては涙が出てきて。。

家族が東北にいるわけでもないのに、東日本大震災はヒマコを本当に傷たけたわ。

人生観が変わった。


震災から10ヶ月後位に『東北視察』のお出かけの仕事があって、、初めて石巻の辺りに行った時、もう怖くてヒマコ泣きそうになったわ。

その後も、まだ『瓦礫』も片付かず、壊れた家に『お花』が供えられ『お線香』の煙がゆらゆらと空に向かって上がっているのを見て、もうね、本当に辛かったわ。

『東北でお金を使おう!応援しよう!』

っていう気持ちがベースの研修旅行がいっぱい出てきたのね。

もう、ほんとにその『仕事』嫌だった。


そんなに『東北』心配で思いやるなら家にいて『寄付』してろよって思ってた。

瓦礫の中に佇んで海をじっと見つめ、涙を拭う女性にも違和感を感じたし、視察終わって夜に『宴会』が有るのも信じられなかった。

牡蠣の養殖をしているおうちのおねーさんに聞いてみたの。

『なんかこんなに東京から人が来て、表情はしんみりしてるけど、いろいろ見て回るのっていやじゃない?』って。

東北のバスガイドちゃんにも聞いた。

みんな心の中の本当の気持ちはわからないけれど、

『私たちは忘れてほしくないの。。だからそんなこと気にしないでこれからも来て』って、言ってくれたのね。

その言葉に支えられて、アノ仕事が出来たんだよなぁ。。


バスの中で、ともかくお客様に『お金使ってね、東北でお金使ってね』って言い続けていたわ。


東北行くと『宝くじ』必ず買ってたわ。

宝くじの収益はその地方のために使われるって聞いたものだから(^^;)))


やがて瓦礫が片付けられ、そこに草が生い茂り、被災地の様子も少しずつ変わっていった。

そんな場所に作られたという『千年希望の丘』

正直、今はまだちょっと気が重いけれど、、

また会長に東北でうんと金使わせてくるわ!

ヒマコは『スゴ腕添乗員』なんだから♪
(*≧∀≦*)

電車到着、行って参ります!