最近、事件が重なったので「引きこもり」という言葉をよく耳にした気がする。
「ひきこもり」の定義






























ある番組のコメンテーターの解説で、引きこもりの定義というのが存在することを私は初めて知った。
「ひきこもり」の定義様々な要因の結果として社会的参加(義務教育を含む就学,非常 勤職を含む就労,家庭外での交遊など)を回避し、原則的には6ヵ月以 上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらな い形での外出をしていてもよい)を指す現象概念である。
華「なあ、お母さん。
私な、前からずっとお母さんに言おうと思ってたんやけどな
私、引きこもりの定義に当てはまるんやで」
ええ






それってホンマ????

知らんかった
「お母さんは知っていて何も言わないのか?
それとも本気で知らんのか?
ちょっと謎やったから聞いてみたんやけど
」
」うーん。
はっきり言って知らんかった。
それどころか、前回も書いたけど、めっちゃ充実した毎日がようやく訪れたと思っていた。
「じゃあ華が今、外に出て行くために
何かアクションを起こした方がいい?」
「それ、めっちゃ嫌や」
「いま、何か不便なことがある?」
「別にない?」
「そやろ?
今、その時じゃないのは見ていてわかるやん。
もっともっとゆっくりと時間をかければいい。
外に出たくなったら、その時に出ればいいやん。
この先、出たいと思わなかったら、それも有りかと思うし」
「でもやっぱりさぁ、仕事せなとか、ちょっと思うよ」
「その感覚はまだ要らんわ〜
世の中は猛スーピードで変わっていくから、将来の価値観も変わってるかもよ。
今ある仕事だって、半分は無くなるって言われてるんやし。
いくら未来に備えても、明日はどうなるかわからない。そんなもんを憂いても仕方ないやん。
今、出来る事が明日から出来なくなったら、それで人生は終わりなんか?
「それはわかってるんやけどなぁ
なんか気持ち悪いわ~」
「気にせずに家にいることが『悪』って感じの世の中やもんな。
でもな、表に出ていても本当は辛い人と思っている人、めっちゃ居てるのにね。
お母さんは何十年も対人関係に苦しんだからね。
だから、まず自分やと思うよ。
人と接するのが苦手。みんなが私を避けているような、そんな気がして、人と話すことが怖かったんよ。今でも距離感がよくわからない。
だけど、ある日を境に何も思わなくなった。
でもさぁ、これ、ほんまに最近」
「なんか、わかる気がするわ」















上記は、ある日の私と華の会話です。
とても偏っている考えかもしれない。
でも、なんとなく書いてみたくなった。
私は多分、自分自身が何か欠けているバランスの悪さを感じている。そしてその状態で外に出るのは、正直しんどいなって思っている。
だからずっと娘が家にいるのも、ありだと思えるのかもしれない。
自分に余裕がなければ、受け止められないものがある。
それが積もり積もって、自分で勝手に思い込みを作りあげる。
そして自滅していく。
思えば、私ばこの繰り返しだった。
物事はなんでも順番。
自分→家族→社会だと思う。
だから何年かかっても、まずは自分。
自分に余裕が出来た時が次のステップへ進む時。
じゃあ、その余裕って??
それは「今の自分でいい」と思えること。
では、どうやったら思えるのか?
うーん
人それぞれだけど
一つは成功体験なのかな?って思う。
「よかったよ」って褒められること?
あ、でもこれって他人からの評価だから
自分に自信がないと
「この人、本気でそう言ってる?」とか
「いや、でもまだまだです」って否定が入る
これは過去に自分が陥った罠。
毎日吐きそうな気持ちで仕事に行ってた。
周りは「この人はダメな奴」って思ってるって感じていて、褒められても受け入れられない。
「ダメダメスパイラル」にはまってしまって、自分を見失ってた時があった。
「謙遜も ここまできたら 病気やな」
これ、俳句と違います。
実際に上司から言われた言葉です
結局はいろんな体験を通じて自分自身が
「私は大丈夫って思えること」
その上にしか積めないものってあると思う。
そうすれば、ちょっと外の世界へ気持ちが動く。
構えることなく気軽に出られる
(私、今、この地点。遅っ!!)
実際に私に会った人は、ブログと現物のギャップに驚く人が多い。
もっと強そうな感じに思えるのかな?
いえいえ、とんでもございません。
お外に出るの怖い。
人に会うと疲れる。
「私なんかがこの場に現れてどうもすいません」って、いつも思っている人間です。
私「行きたくないーー!!」
いろんな人「ほな、断ったらええやん」
私「でも、なんか断られへん」
ノーと言う勇気すらない。
なんてウザい奴なんでしょう
52歳にして、最近、ようやく気持ちが軽くなったんです。
でも、人生100年らしいですから
まだ50年ありますね。
やったね
まだいけるやん!
10代の子供達は、この先90年間あるっぽい。















私がちょっと気持ちが軽くなったのは
「誘われるって人に必要とされているんちゃうの?」
そう華に言われて、ストンと腑に落ちたから。
そんな単純なことが、人が怖くてわからなくなっていた。
「行かなければならない」の方に意識が向いていたから。
受け入れる下地が出来てなきゃ、感じることさえできない。
何事もタイミング。
でも、気持ちが軽くなって私は外に向かうのかと思いきや、結果はこれ⬇️
音も何もない静かな部屋で、本を読む時間が
圧倒的に増えた。
ここに今、一番の幸せを感じるんだから仕方ない。
人と会うのが嫌ではなくなった。
でも、ガンガン行くほど好きではないらしい。
それよりも、一人の時間が快適なんだと気がつく自分にようやくなれたという感じ。
きっと心のどこかで「人と繋がらなければならない」とずっと思い込んできた。
だから一人でいることに、自分がオッケーを出せてなかったんだと思う。
やっと安心して一人になれた。
私、本当は何もしたくないの!!
つい最近、ある人と話している時に、泣きながら叫んだ言葉。
今はその自分の感情を大切にしたい。
無理に外にでなくても、いろんなところで
人は影響を受ける。
家族の会話はもちろん、ネットの世界や、本。
何気なく見上げた景色でさえも
腑に落ちる瞬間は何かを感じる。
「〜しなければいけない」そんな物は必要なくて
「〜したい」
その気持ちが自然に湧いてくる自分になれること。
それが一番の幸せなんだと思う。
良い悪いとか、正解や間違いなんて世の中には本当はなくて、心地よいか悪いか。
最近、この手の言葉もよく耳にする。
昔からあるのに、なぜか蔑ろにされてきた感覚。
本当はこちらが幸せへの近道なのに。
快、不快。
それは自分だけにしか分からない。
だから「幸せの形」って人それぞれなんだと思う。
お金の問題があるから人は焦るんだと思う。
出て行かねばならないから。
私もそうだった。
でも、このざまです。
だから
ゆっくり焦らず、親の脛をかじりなさい。
私はそう娘に言ってます。
贅沢しなきゃ、なんとかなるさ♡
