自分の気持ちに気がついたら、自分の無意識の行動が全部一貫していたことを知った。
とても新鮮な気持ちと、今までのジタバタしていた自分が何だか可愛らしく思えてきた。


今日から新しい毎日が始まるんだ爆笑

朝、カーテンを開けた時、そんな気持ちになった。
大袈裟ではなく、本当に自分でもビックリするくらい気持ちよかった。
同じ風景なのに、こんなに違って見えるんだ。


引っかかっていたものって、怖っ!!
無自覚だから、さらにタチが悪いショック


長年の謎が解けたあと、真っ先に思ったことは『整理しよう』ということ。


まず、家の中をいろいろ変えた。

そして違和感があった予定は全て断わった。

人間関係も。
これはズバッと切るわけではなくて
私はこの関係は嫌なんだなぁ〜って自覚するようにした。

訳もなく合わせている時は、妙に疲れてしまったけれど、自分の気持ちをわかっていると
案外適切な距離を置けた。
そうすると、なぜか相手のいいところも見えてきた。
人の心理って不思議やな照れ


自分でも一番驚いたのは
はっきりとNOと言えるようになったこと。
初めて自分を大切に思えたから。



やっぱり基本は自分自身の感情を大切にすることなのだと思った。


ラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブ

『 自分の楽しいと思うことをやりなさい』
そう言われたら、今でも真っ先に一人の時間を選択すると思う。

そして、理解してからの方が拘りがなくなった。
外に出なきゃとか、家に居たいとか
どうでもよくなった。


自分が外にでるとか、内にこもるとか
どっちでもいいこと。

朝はパンなのか、ご飯なのか?
そんなん、食べたいもん食べたらええやん!
それと同じ程度の話なんだと思った。
意識し過ぎて面倒にしていたのは自分。


人に勧められたって嫌なもんは嫌やねん。
出来ないもんは出来ないねん。

そんなことではダメって言われたけど
「〜しなきゃいけない」と思ってやることは
やはり どこかで行き詰まった。


それよりも無理して合わす方が怖いと思った。

『本当は自分が何を求めているのか』

生きていく上で一番大切なことを忘れてしまうから。

音譜音譜音譜音譜音譜音譜音譜音譜音譜音譜音譜

私は昔から『親の会』の集まりは、あまり好きじゃなかった。
なんで集まらなあかんの?って思ってしまう。
ここでも「一人が好き」が炸裂していた。

それでも学校の先生に呼ばれるので、お世話になってる立場上、断われない。

大丈夫です!って言っても
「お宅の子供 休んでるやろ!ムキー
と突っ込まれるのは、わかっている。

でも、私に必要な情報はそこにはなかった。 

それ以上に親のマイナス感情を聞くのは、自分が責められてるようで嫌だった。
絶対受け入れてないよなって、すぐにわかる。
言葉の端々に出てくるから。


子供さんたちの様子を聞いても
「別に普通やん。
オカンの選ぶ道の幅、狭すぎやねん
もっと可能性はあるやろ!」

そんなことを悶々と思いながら
黙って座っているのはキツかった。


そんな感じだったので、先生から呼ばれた会をどう欠席するかの方が問題だった。
3回に1回、義理で参加してたけど、
参加するのもお断りするのも憂鬱だった。


私は子供達に対して
『なんとか生きて行けるから問題ないさーニヤニヤ音譜
いろんな方法もあるし、それに形は違えど
誰だって大なり小なり問題は抱えてるさ』
と思っていた。


いや、そんなかわいいものじゃないかも。


何が心配なん?
何が悪いの? 


根底には一貫して、そんな気持ちがあった気がする。


『普通に出来ない自分』を責める癖に
『普通に出来ない子供を持つ親』の嘆きには
めちゃくちゃ反発していた。

かなり歪んでいるチーン



私は自分のことを
「それでいいんだよ」と思ってもらいたい。

心のどこかで、そう望んでいたのかもしれない。