自分を認めることとは、

自分の凸凹を感情と切り離して

理解することだと体感できた

ここ最近です。

で、ここ数日、

息子が学校に行かなくなりまして泣き笑い



友達に仲間はずれにされてる、

酷いことを言われる、

孤独を感じてる。と。

休み時間の「麦茶の入った水筒」が

命綱だったようでして…



我が子の気持ちよりも、

自分のことが大事で、

自分の不安に押しつぶされて

暴言をぶつけやすい私。



今回の出来事も、

そんな私の引き金を引きましたが、

これでは同じことの繰り返し。

と立ち止まっている今。



これはこれまでと違った対応(の知識)と

私の不安の根源となる価値観の洗い出しが必要だと自覚。



焦る自分も自覚しながら、

丁寧に物事を進めるよう、

周りから固めてます。



「周りから固めてる」

とは、相談しながら進める環境作り。



相談とか調整が大の苦手で、

独断と偏見、突っ走りで生きて、

今がその現実なので…



1人で悩まない、

1人で決めない環境を

強制的にも与えないと、

ろくなことにならない泣き笑い

と、やっと自分の考える力の弱さを

認められたわけです。



子供のことに関しては、

理解されない前提、

否定される前提、

という恐怖を抱えたまま、

相談窓口にて一緒にケアの方法を

模索してもらい始めました。



そして、

今日は担任の先生と面談。



相談というより、

作戦会議という気持ちで

お話ができたらいいなと思ってます。



自分の思ってることを

丁寧に見ていくと、

別に学校行かなくてもいいかとも思ってるけど、何だか漠然とした不安もある。

自分の予定が狂うことへの

適応力の低さ(予定変更が苦手で情緒が不安定になる)



など、

一つの出来事に

複雑に絡み合った諸々のことがあり、

瞬時に判断することに、

強烈なストレスを感じてる。



息子は関係ねーわけです。

私の適応力の問題でした泣き笑い



息子の状況も、

楽観的な私の価値観で決めつけず、

かと言って、解決のために焦って動かず、



息子の悲しい気持ちを受け止め、

子供たちの間で起こる、

おふざけとイジメとの

なんともモヤモヤしたものを



「相手がそう感じたら、それはイジメなんだ」



という極論だけでなく、

嫌なことは嫌だったよ、

僕はこんな気持ちでやったんだよ、



と、

お互いを理解し合える

決めつけ以外の方法を、

見つけたい。



だから、

先生と作戦会議。



でも、これまでの私は、

どちらかと言うと、

「いじめられる方にも原因がある」

という人でなしな価値観で、

ただ傍観していた卑怯者。



だから、

仲間はずれにされる息子の気持ちなど、

1ミリも考えないどころか、

息子のダメ出しばっかりしてた

相当な毒親。



私自身も、他責より「自分に問題がある」という自責の視点が強くて、それで何とか生きてきたところもあったから、息子にもそうすべきだと思い込んでいたんだと思う。



自分の悲しい気持ちなんて、

本当にどっかに置いてきちゃってたから。



自分のダメさ、

自分の卑怯さ、

自分の弱さ、

自分のとってきた戦略。



仕方なかったよ。



でも、

これからも

それでいいわけではない。



だから、

私は人の知恵や手を借りて、

息子との関係を良くしていく。



息子が1人の人間として、

安心して生きていけること、

のびのびと好きなことチャレンジし、

いっぱい失敗や経験を積めるように。



ちえみ。