今日は、

息子が受けるはずであった

スクールカウンセラーさんとの

カウンセリング日。



息子が行きたくない。

話したくない。怖い。



と言いだしたこともあり、

何なら学校を休んだこともあり、

私がカウンセラーさんとの

時間を代わりに頂きました。



私は今、

不安でいっぱいいっぱいで、

心のタンクが溢れかえる寸前

っていう自覚があったので、

この時間はとてもありがたかった泣き笑い



今なら、

とても苦しいです。

助けてほしいです。

そんな風に素直に弱さを出せる。



というか、

そうしないと自分の身が持たない。

自分への危機感。



45分間という時間、

正しく言えばちょっと過ぎたけど…

まー泣ける泣ける。

隙あらば、涙が出ちゃう。



これまでずっと

闘いモードで生きてきた私。

向かうべき闘いがあった時、

正しくはそう思い込んでた時、

こんな気持ちにはあんまりならなかった。



でも、

これまで当たり前だと、

正しいと思ってきたその生き方が、

苦しさの根源だって気付いて、



それとは真逆の方に

舵を切り始め、

弱さ全開で走り始めたら、

それはもう怖い、痛い、つらい。



なぜかと言えば、

それを感じないために、

これまで闘いモードで生きてきたから、

何もかもが初めてで、



鎧をつけずに、

弱い私のままであることに、

全然心が慣れてないから

だと思うんです。



逆に言えば、

これまでは相手を傷つけてでも、

自分を守っていたから、

今度は自分が傷つくことを覚悟した

ということ。



傷つくと言っても、

誰かに酷いことをされる訳ではなく、

弱い自分の心を受け入れる

ということ。



覚悟をしたからとて、

苦しさがないわけではないけど、

この苦しさには終わりがあって、

その先に別の世界が拓けてるって、

希望があるから。



息子には、

闘いモードの世界ではなく、

安心の中で自分を表現して

生きて行ってほしいなと、

今やっと思う。



私がずっと握りしめてた、

この世界への疑いの目線ではなく、

安心での目線で世界を見てほしい。



で、

周りの人からの優しさを

ちゃんと受け取れる人でいてほしい。



それには、

まず私が体現するしかなく、

弱さをさらけ出すしかない。



弱さをさらけ出した先に、

やっと人は優しさを受け取れる。

拒否し続けてたから、

今ようやくわかった。



素直な人に、

人や世界は優しい。

確かに自分だって、

素直な人に優しいもんね。


ありがたいね。


チエミ