いくつかの質問を受け、

私は一つ一つ答えていく。



涙がポロポロ溢れても、

私はどの感情が涙と繋がってるのか、

全然よくわかんなかった。



息子は学校で問題を起こすたびに、

「相手はどんな気持ちかな?」と聞かれ、

「わからない」と毎回答える。と、



担任の先生から聞いていた。



私も、なのだ。

私も、人の気持ちなどわかるわけがないって思ってきた。

そして、私の場合は、

特に息子の気持ちを理解しようとすると、

全く分からなくなる。

何の感情も湧いてこない。



あ、それって異常なんだ。

って最近気がついた。



なぜだろう?

何で私はそうなんだろう?

と小さな頃の感情を思い出そうと試みても、あまり見当たらなくて…



ただ、

私は自分の感情は自分で処理すべきで、

人に吐くものでないってのを、

頑なに守ってた。



だから、

学校での揉め事(私の子供の頃)を

すぐに大人にいう同級生に対し、

気持ち悪いって嫌悪があった。



こんなことがあって悲しい…

こんなことされて嫌だった…



そんなことを

絶対言わない感じだった。



あの人が悪いって、

人のせいにするなんて、

気持ち悪さが最大級だった。



それが行きすぎて、

私は完全に感情の不感症になり、

もちろん相手に対しても、

感情の自己処理を強要してるから、



「そんなことで泣き言言うわけ?」

と、すごい否定的な感じだった。



さらに言えば、

私は親に感情的に怒られること、

叩かれること、

ワガママだと言われること、



悲しいや悔しいではなく、

「私が悪い」と思ってることに、

今朝気がついて…



自分の感情も、

自分の行為による代償も、

全て自分の責任で処理すべき



って、

幼い子供にとったら、

超過酷で超厳しい

価値観を持っていた。



大人のフォローや擁護など受けられないし、頼ってはいけない。



感情を出したりすれば、

否定され、突き放さ、

めんどくさいものとして扱われる。



そうやって、

誰よりも幼い自分に冷酷で、

否定的な目線で自分を見張ってきた。



だから、

これ以上、否定や指摘、

アドバイスもされたくないし、

責任も負いたくない。



もう受け止めきれないから。



そうやって、

素直とは程遠い

生き方をしてきてしまった。



ここまで読んでくださった方と同感です。私も。

完全に拗れてるんです。



でも、ふと思うのです。

保育園に通ってた頃のあの小さな私は、

家族が大好きで喜んで欲しくて、

愛に溢れていたな…と。



本来は、

思いやりがあり、

優しい子なんだろうなと。





息子が小5になり、

学校での問題が勃発し始め、

私が抱え込める範囲を超えて、

虐待までしてしまう。



私は、

もう私自身を

サポートやヘルプが必要な人だと、

認めざるを得なくなった。



素直になるって、

私にとってめちゃくちゃ怖いことなんです。



これまで頑なに

素直な感情(特に弱さや寂しさなどネガティブなもの)を出さないようにしてきたし、



そういうものを出せば、

否定され、めんどくさがられ、

怒鳴られ、突き放される。



という、

小さな頃のトラウマと



私が周囲に思ってきたように

気持ち悪がられる、

嫌悪を抱かせる。



っていう恐怖感で、

身動きが取れなくなったり、

自己防衛に走りたくなるから。



でも、

地域にある児童相談所に相談したからには、

それは私の住む市の子ども福祉課や子供の通う学校にも情報共有される。



ここで、

私は自分の歪さや

今持つ恐怖を乗り越えて、

丸腰で飛び込めるのか。



と、向き合うことになる。



もちろん、

反発したい気持ちはある。



でも、

息子と私の未来の幸せを考えた時、

その反発は、

本当に有効なものなのか。



いつだって、

呼吸を整えて、

落ち着いて向き合いたい。



自分が虐待をしてしまった事実、

虐待をしてしまう自分という現実。



キツイよね。

何事もなかった顔して逃げたいよ。



でも、

それは助けが必要だというサイン。

助けてもらうことは、

決して恥ずかしいことではない。



恥ずかしいことだと、

苦しい価値観で生きてきてしまった

自分が居ただけのこと。



子供の頃の

素直さや優しさを、

そのまま保って大人になった人が、

本当はとても羨ましい。