昨日の夕方、

数年前に同じ職場でお世話になっていた方の突然の訃報が届いて、


私が先に退職してからというもの、

当たり前のようにお元気で過ごしてると不義理にも、かなりご無沙汰をしていた中の訃報で、


結構ダメージを受けています。


というのも、

その方は私より年はだいぶ上で、

何なら私の母よりも

一回りくらい上なんだけど、


出会った時から、

本当に色々と私の言動に

純粋に驚いたり、感動したり、

いつも褒めてくれていて、


何なら、

何でもない私のファンでいてくれたんじゃないかってくらい、真っ直ぐで無邪気な好意を示してくれる人でした。



今でもその場面場面を

ありありと思い出せるほど。



また会えるしー、

あそこのスーパーでまた偶然に会うかも!

くらいに元気なことを当たり前にしてた。



もうそんな日が来ないのか…と。



正直、

何年も直接連絡は取ってないけど、

会えばすぐに、

毎日顔を合わせてた時の感覚に戻れる人。



今更ながら、

あの時どれだけの

愛情を受け取ってたかと

思うわけです。



そして、

わたしはその人が大好きだったと

思うわけです。今更だけど。



私が今、

その人を想うように、

わたしも想われることがあるんだろう。



それと同じように、

あなたも、あの人も、

誰かにそう想われる人。



やっぱり私たちの誰もが、

何ができてもできなくても、

存在そのものに絶大な価値があり、



誰かに勇気や元気を与えて、

生きる意味にすらなる。



私は自分がガンになっても、

全然気落ちもしなければ、

あんまり気にもしなかった。



でも、

大切な人がそうなったら、

器の小さな私の心は耐えられない

ってのを自覚してる。

だから、自分で良かったと思った。



でもさ、

私がそうなっていた時、

私を大切に想う誰かには、

それを耐えさせていたんだよね。



だから今は、

できるだけならないようにしたい。



少し前までは

そんなことすら思わなかったし、

なった時にまた考えよー

くらいなもんだった。



なんなら、

心配とかいらんし。

くらいに思ってた。

まぁー捻くれてるね笑。



自分が誰かにとって、

かけがえのない人、

大事な人だって



忘れちゃいけないね。

自分が大事に想われてないとか、

どうでもいい存在だなんて、



何で何も知らない自分が

決められるというのだろう。 



覚えてない、

自覚のないあの時の

あなたの言葉とか存在が、

今でも誰かの支えになってる

かもしれないというのにね。



あー大好きだったし、

あの時から私はたくさんの元気と、

勇気をもらってたんだな。



もう会えなくなってから、

想うんだもん。

情けないね泣き笑い


私の働く施設から見える

夏の花火と共に。


ご冥福を祈って。


つぃえみ。